皆さんは新年を迎えるにあたって、お餅つきをしましたか?
タイでは、北部と東北部を中心に糯米(もちごめ)を主食とする文化があります。日本でいう強飯(こわめし)のようなもので、円錐形の竹籠で蒸します。食べるときは、手で丸めるながら口に放り込むのが普通です。日本では糯米を赤飯として祝儀のときに出すのが普通ですが、北タイや東北タイ(ラオスを含む)では全く反対で、日常食が糯米の強飯、祝儀には粳米(うるち米)や麺類を供します。
餅搗きの音にしばらく耳応ふ 広瀬直人
今回はタイの強飯ではなく、正真正銘のお餅の話です。日本以外で餅つきをするところは…?写真1を見てください。これはラオス北西部、ルアン・ナームター郊外のモン族の村で撮った「餅つき」の写真です(2002年1月)。その他、雲南省、北タイの山岳部に住むモン族も餅つきを行ないます。モン族の日常食はうるち米ですが、正月前に糯米をふかして舟型の臼で餅つきをするのです。実は、私がラオスでモン族の村を訪ねたのは、モンのお正月が終わってだいぶ経ってからでした。ルアン・ナームターの町で自転車を借り、郊外の村々に手工芸品を見に出かけたときです。友人に有名なモン族の専門家がいて、その人からほんの少し言葉を習ったことがあるので、モン族には特に親しみを感じていました。モン族の村の入り口にある手工芸センター(掘っ立て小屋)だけでは飽き足らず、一人でどんどん村の中に入っていくと、一軒の家の前で男たちが作業をしています。しばらく見ていると、家の裏から女たちが熱々の糯米を運んできて、木をくり抜いて作った舟型の臼に移しました。青年が何人か集まって杵を担ぎ上げ、目の前で餅つきが始まりました。日本のように合いの手を入れ餅をひっくり返す人はいませんが、二人が交互に杵をおろして餅をつきあげます。周囲で見ている男の子は、拍子をとるように奇声をあげたり、手をたたいたりしていました。日本でも「餅搗き歌」というのがあるそうですが、確かに二人の呼吸を合わせリズムよく搗くためには、歌やかけ声が必要でしょう。
搗きあがった餅は丁寧に杵や臼から引き剥がされ、竹の平籠に移します。このあと、女性たちが手際よく餅を丸めていく様子は、まるで日本の鏡餅のようです。ただし、丸めた餅は一つずつバナナの葉に包まれ、ある程度平たくならされます。餅を丸める作業が始まると、近所の子供がたくさん集まってきて、それぞれ一個ずつおこぼれに預かります。早々と一個食べ終わった子供が二個目をもらおうと手を出すと、おばちゃんたちがぴしゃりと子供の手をたたいて、すごい剣幕で怒鳴っていました。半べそをかいたその子供の表情は、鼻水を垂らした日本の昔の子供にそっくり。通りがかりの私にも、おすそ分けの餅が手渡されました。搗きたてのお餅なんて、何十年ぶりだったでしょう。
彼らは、正月が過ぎても食べたくなると餅つきをすると言っていました。数世帯が共同で餅つきをするらしく、参加した家も含めてご近所にも餅を配っていました。日本でも江戸時代ごろから餅配りの風習があり、俳句の季語(冬)にもなっています。日本では、搗きたての柔らかい餅をからみ餅、牡丹餅、黄な粉餅、あんころ餅にして配ります。モンの人たちはバナナの葉に包んで配り、硬くなったら蒸したり焼いたりして食べるそうです。
餅配る母のあとより子等の列 茉莉
モン族の正月は、稲の収穫後の新月を元旦と定めます。収穫の時期や月の満ち欠けによって毎年多少ずれますが、2003年は12月23日でした。餅つき以外でも、日本の風習に似ているモン族の正月行事がいくつかあります。同じ稲作農耕民で、また祖霊信仰の面からも共通点があり、日本の稲作文化のルーツは中国・江淮荊州のミャオ族(モン族の中国での通称:苗族と書く)だという説もあるのです(萩原秀三郎著「日本人の現郷」小学館)。その一つは、大晦日など年越しに行なわれる煤払いで、旧年中に使用した道具類や農具、刃物を神棚の下にきちんと納めるのも日本との共通性があります。一番驚いたのは、中国のミャオ族が行なう五穀豊穣の祈りで、軒に吊るした笹に餅を丸めてつけていきます。日本では、小正月に行なわれる飾り木の一つで、ミズキ、ヌルデ、ヤナギの枝に小さな餅切れをたくさんつけて、神棚の近くの柱等に飾る風習があります。普通は「餅花」「繭玉」といいますが、その形が稲を模していることから、稲穂や稲の花と呼ぶ地方もあるそうです。
モンの正月行事は他にもたくさんあり、男女が鞠を投げあい結婚相手を見つける行事や、鶏を捧げるルッカイと呼ぶ精霊信仰の行事など興味は尽きません。また別の機会にご紹介できたらと思います。最後に、皆様の新年のご多幸を祈りつつ…。
未来ひとつひとつに餅焼け膨れけり 大野林火
(記:SVA曹洞宗国際ボランティア会発行「シャンティ増刊春号」平成5年4月10日発行を参照しました。)