タイでは正月が3回来ます。西暦1月1日、陰暦12月にあたる旧正月、そして4月13日のタイ正月(別名:水かけ祭)です。旧正月は、タイ全国の都市部に住んでいる華僑の正月で、今年は1月22日が元日でした。別名、春節ともいいます。
旧正の爆竹音に目覚めたり 茉莉
旧正月前日の晦日の朝には、中国系タイ人の住む家や商店の前でものを焚く煙が上がります。まだくすぶり続けているドラム缶の中を覗くと、中には「冥土銀行発行」と書かれた紙幣、金銀貨、金の延べ棒がありました。すべて紙細工です。むかし遊んだ人生ゲームの紙のお札のようなもの。これを燃やしてご先祖様の供養とするそうです。天上の方々が、あの世でもお金に困らないように。
それに続いて、あちこちで爆竹音が響きます。爆竹を鳴らした跡には、赤い紙片がたくさん散乱していて何やらおめでたい感じがします。家の中の神棚に各先祖の遺影が祀られ、前にしつらえたテーブルにご馳走を並べていきます。お正月の料理に欠かせないのは、鶏や家鴨の煮込みと炒めそば、「カノムケン」と呼ばれる餅菓子。その他5,6品の料理とろうそくを供え、家人が一人ずつ線香を点して祈りを捧げます。その後、お供えしたご馳走は早々にお皿ごとさげられて、集まった親戚一同の昼食になります。炒めそばを一番先に食べる人が多く、これは日本の年越し蕎麦と同じ意味があります。つまり、長いものを食べて長寿の縁起をかつぐのです。
春節前に旧知の中国系タイ人の家に行き、餅菓子「カノムケン」作りを手伝いました。バナナの葉の容器に手作りのタロイモ餡をひとつまみ入れ、その上から水で溶いた上新粉の生地を流し込みます(写真1)。直径70センチもある大きな蒸し器に隙間なく並べ、約百個分を一度に蒸上げました。蒸し終わった菓子を冷まして、表面に食紅で赤い点々をつけていきます。この赤いしるしは飾りでなく、きちんとした意味があるのです。赤い点がない餅菓子は死者へのお供え用、赤い点入りは人間が食べてもよいもの。調子に乗って全部赤点をつけてしまうと、調理場を取りしきっているおばちゃんに叱られる羽目になります。この家の「カノムケン」は近所でも評判で、毎年千個ぐらい作っておすそ分けします。
豚の頭を好む神あり春節祭 小澤 實
春節祭豚の頭ならべ子豚伸べ
上記二句は、長崎の春節祭の様子でしょう。ランタン・フェスティバルとも呼ばれ、古くからの交易都市・長崎にふさわしい華やかな祭りといえます。タイでは旧正月にあまり豚を供える習慣はないようですが、長崎をはじめ日本では豚がよく使われます。豚の頭の存在感、なんともいえず哀愁を帯びた豚の顔は一度見たら忘れられません。二句目の「子豚伸べ」という表現は、タイでも中国人がお祝いに食べる子豚の丸焼きでしょうか。チェンマイの中華レストランで、串ざしになった子豚が伸びた状態で火にあぶられ、ぐるぐる火の上で回っている光景を見かけます。
春節の元日には着飾って町に繰り出し、チャイナタウンで行なわれる獅子舞を見に行きます。バンコクや華僑が多く住む地方(ナコンサワンなど)では、アクロバットのように梯子に登り、曲芸を行なう獅子踊りも披露されます。私はテレビでしか見たことがないのですが、獅子が日本の出初め式のような曲芸をやってのけるのです。写真の獅子舞は、タイとビルマの国境の町、メーサーイからビルマ側に橋を渡ったところで出会ったものです。華僑の商店や家々を順番に回って、二頭の獅子舞を披露していました。各家の前にはジュースやお菓子が用意され、終わったあと獅子に扮していた子供や青年が自由に飲み食いできるようになっています。しかし、それ以上に多いのは近所の子供たち。獅子舞の後をついて回って、お礼にふるまわれるジュースやお菓子をちゃっかりいただくのです。獅子舞のフィナーレは、赤い封筒に入ったお年玉を獅子の口に入れる場面です。すぐに入れるのではなく、お年玉を持った人の前まで派手な振りで進み、太鼓や銅鑼も一層大きく激しく打ち鳴らしていました。獅子の口が大きく開き、一瞬中の人がさっと手を出して赤い封筒を取りました。そのとたんに、用意してあった爆竹が炸裂し、周りの家からも歓声が起こります。獅子はおどけてポーズをとり、最後に大きく頭を振って終わりました。中に入っていたのは10代の男の子と子供たち。汗をぬぐってジュースを飲み干し、出されたみかんをほおばっていました。
獅子頭脱ぎをれり夕日雲を割る 岡本圭岳
今年の春節は、ちょうどタイやベトナムで鶏が大量に死亡していた時期と重なりました。お供えの鶏肉料理を控える人が多いかと思っていましたが、市場では鶏を一羽丸ごと買っていく人もかなりいました。そういえば、タイで正式に鳥インフルエンザ感染を公表したのは旧正月直後。タイミングがよすぎるような気もしますが…。