kitombo.com | チェンマイ俳句歳時記 | 2003年10月27日 
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チェンマイ俳句歳時記
「ローイクラトン(燈籠流し)」

坂本 茉莉
10月27日

 旧暦12月の満月の夜。雨季は終わりを告げ、とうとうと流れる川面に吹く風は季節の移ろいを感じさせます。人々がクラトンと呼ばれる燈籠を手にして川をめざすころ、増水した川の流れにはゆったりと満月の光が揺れています。河の神に罪の許しを請い、流れに悪運を乗せて厄払いをするというのが、本来のローイクラトンだそうです。

        流燈の刻待つ水の厚さかな       草間時彦

 チェンマイ大学在籍中に、言葉の問題が少ないだろうとたかをくくって受講した生け花の授業で、生け花とは程遠いタイの生花細工(花びらを1枚1枚指できれいに形を整えて糸に通し花飾りを作ったり、バナナの葉を丸めて円錐形の供え物を作ったりする)に苦労していた10月末、授業でクラトン作りを習いました。大学構内の林からバナナの葉や茎を切ってきて土台を作り、周囲をバナナの葉で蓮花型に仕上げていきます。たいして難しい作業ではないのですが、不器用な私は人の倍以上時間をかけてもなかなか完成しませんでした。見かねて手伝ってくれたのが、学部でも札付きのオカマ学生。女生徒よりずっと器用で手早く形を整える彼(彼女?)の指先を、私はただ感心して見つめていました。それが縁でその年のローイクラトンは、彼とそのオカマ仲間と一緒に燈籠流しに出かけました。キャーキャーと黄色い声が川いっぱいにこだまして、開放的で楽しい燈籠流しの思い出です。

        流燈会水ひろびろとありしかな     岸田稚魚

       北部タイのローイクラトンが印象深いのは、他の地方にない独特の風習があるからでしょう。そのひとつが「コムローイ」と呼ばれる熱気球です。この熱気球は、北タイのお葬式のときにも飛ばしますが、死者の魂が安らかに成仏するようにという意味がこめられているそうです。ローイクラトンでの「コムローイ」は悪運を空に飛ばして振り払う、つまり厄払いの役目を果たします。さらに、チェンマイの家々の戸口、窓辺、庭先にはローイクラトンの夜、たくさんのろうそくが灯されます。直径7−8cm、素焼きの蓮花平型陶器に入っているろうそくです。暗くなった家々の庭先や窓辺で小さなろうそくの火が揺れている様は、川に浮かぶ燈籠に劣らず幻想的な光景だと思います。これは、先祖の霊を迎え入れる門火の役目を果たしているのでしょうか。ローイクラトンの起源はインドの河神信仰から来ているといわれていますが、それだけではなく、タイ族独自の精霊信仰などと渾然一体になった行事であるような気がします。
 一方、日本の「流燈」「燈籠流し」は秋の季語で、盆の16日に真菰の葉や麦わらを編んで舟形を作り、供物を載せて灯をともし川や海に流す風習です。盆に迎えた先祖の霊をあの世に送る儀式として行います。子供の頃、千鳥が淵の戦没者祈念公園で追悼の精霊流しが行なわれ、家が近かったこともあって毎年のように出かけました。千鳥が淵のボート乗り場から箱型の燈籠を持ってボートに乗り込み、父と一緒にお堀の水に流したときのことを鮮明に思い出します。そのとき、戦争のことや戦没者の話を聞いたからでしょうか。暗い堀の水に漂う無数の燈籠の列を見ていると、いつも戦争や戦死者の悲惨なイメージがつきまとうのです。

        流燈や死者に連なる狂女あり      茉莉

 6年前のローイクラトンの日、私は親しい仕事仲間たちと一緒に、ごった返す人波をかき分け燈籠流しに出かけました。蘭の花で飾られたクラトンに小銭を供え、ろうそくの火を灯しながら、私たちは家族や恋人そして自分の健康と幸福を祈りました。火が消えないようにそっと水の上に置くと、クラトンはぶつかり合いながらゆっくりと下流に向かって流れていきました。しかしすぐに流れが滞り、一つを除いて他のクラトンが淀みの中につかえてしまったのです。風にあおられていつしかろうそくの火も消え、みな押し黙ってクラトンを見つめるばかりです。ただ一つ、最年少であるデーン君のクラトンだけは順調に流れ、さらに他のクラトンをも追い越して、遠くの川面をどこまでも流れて行ってしまいました。
「デーン、おまえはついてるな。きっといいことあるぞ。」
 誰からともなく発せられた言葉に、当の本人は寂しそうに笑って見せただけでした。
 その翌年のローイクラトンに、デーン君はこの世にいませんでした。今思えば、皆でクラトンを流しにいったとき、彼の病気はもうかなり進行していたのでしょう。誰にも言えず、最後まで本当の病名は伏せられたまま亡くなったのです。私は仕事が多忙という理由で、彼の葬式に出席しませんでした。今でもデーン君の流したクラトンがはるか遠くに運ばれていく様子がふと脳裡に浮かんできます。
 それ以来、チェンマイのローイクラトンの賑わいに、いつも悲しい思い出がつきまとっています。花火が上がり、爆竹が鳴り響く町。華々しいクラトンコンテスト。練り歩く山車の上で微笑むチェンマイ美人たち。そんな風景を横目で見ながら、今年も川にクラトンをそっと流して祈ります。どうかデーン君の魂が安らかに眠れますように、と。

        流燈の終の一つを闇が追ふ       能村登四郎

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