この物語の七〇%は、一九七九年五月から、一九八一年一月まで、インドネシア国スラバヤ市に在住していた、H家の周辺で、実際に起こったことを素材にしています。
残りの三割は、わたしのパートナー、一恵が、メイドのデウィやティから聞いた話であり、それに筆者の想像が加えられています。
この物語で、デウィの述べている言葉の多くは、実際に彼女が使った言葉です。
「中国人だってジャワ人だって同じ人間、だから仲良くしなければいけない」
「なぜ農民は貧しいの?人間が生きている上で、一番大切な食物を作っているのに・・・」
「犬にお金をかけてはいけません。わたしの国では、犬に医療費は使わないんです」
これらの言葉は、反中国人暴動を目の前で見、農民の貧しさに心を痛めつつ、無力の存在であったわれわれ、そして、犬に多額の医療費を使ってきたわたしたちにとっては、ショッキングな言葉に聞こえました。
このショックが、この物語を書くきっかけとなりました。
来週からは『大地舜フォトギャラリー』を開催したいと思います。
一〇歳ぐらいから写真を撮り始めて半世紀。物書きになるより写真家になれば絶対成功すると、尊敬する先輩編集者たちから何度も言われていたのですが、怠け者の私は、カメラは重たいので軽いペンを選びました。
でも写真撮影は好きで、常にカメラを身辺から離したことはありありません。写真から得ている収入も少なくありません。そこで、私の気に入っている写真を中心にインターネット上でフォトギャラリーを開催したいと思います。
好きな分野は、子供、人の顔、建物の造形、風景ですが、最近は、雑誌記事に掲載するための実用写真がほとんどなっています。スキューバダイビングも一五〇回ほど行って、海底の写真もだいぶ撮りました。でもそのほとんどは海底構造物の写真で、魚やサンゴを撮影したことはありません。
友人の作家のグラハム・ハンコックさんもエコノミスト誌の東アフリカ特派員の時代に、防弾チョッキを身に着け、写真を自分で撮っていたそうです。その彼が、「九五%の写真はプロの写真家と変わらないものが撮れる。違いはわずかだ」と言っていました。つまり、正式に写真撮影の勉強はしていなくても、プロ並みの写真は、アマでも撮れるということでしょう。プロとは何か、という定義もはっきりしなければいけないのですが、基本的に私もグラハムに賛成します。
しかしそれでも写真撮影には最低限の才能も必要だと思います。とくに絵心というか感性、瞬間を捉える機敏性というかスピードは必須です。あとは経験でカバーできることがほとんどのように思います。プロとして成功するには才能だけでなく、商才が重要だと思います。
というわけで、私は芸術写真に献身したわけでもなく、スナップ写真がほとんどです。南米のマチュピチュ遺跡で3〜4時間、一枚の写真を撮るため、太陽が顔を出すタイミングを待ったことがありますが、それ以上の努力はしたことがないので、写真のレベルはその程度です。
一枚でも気に入っていただける写真があれば幸いです。
大地舜