kitombo.com | デウィとの五〇〇日 | 2004年5月3日 
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デウィとの五〇〇日
「『デウィとの五〇〇日』(2)」

大地舜
5月3日

突然の死

 白い布にグルグル巻きにされた父の遺体は、棺の中にあった。
「デウィ、最後のお別れよ。行きなさい」
 涙声の母に言われて、わたしは棺のそばに行った。
 父の顔にも白い布は巻かれていた。黙礼をして引き下がると、妹と弟が、次々とわたしの真似をし、棺の前に進み黙礼をした。

 この時わたしは一〇歳だった。

 父は硫酸を頭から浴び、大火傷をして死んだ。近くの化学工場に出稼ぎに出て三日目のことだった。突然、硫酸の入っているドラムカンが爆発したのだ。
 化学工場からは人が来てお金を置いて行った。三千ルピア入っていた。だが、母は受け取らなかった。お金なんかいらなかった。父を返して欲しかったのだ。

 棺は村の若者たちにかつがれて家を出た。村の大通りを抜け、緑のイネが波打つ水田の間を墓地へ行く。わたしたちは村のはずれまで棺を見送った。
 母は二人の女性に抱えられ、泣き崩れていた。腕には生まれて間もない赤んぼうを抱いていた。わたしは泣いていなかった。父の死はあまりにも突然で、実感が湧かなかったのだ。呼べば、どこからか、すぐに元気なお父さんが姿を現すような気がした。
 棺はユラユラ揺れながら、やがて緑の海の中に埋もれてしまった。
「お父さーん!」
 わたしは必死で叫んで、後を追って水田の入り口まで来た。返事は無かった。涙がたまり、前がかすんできた。

 母にはすぐに再婚の話があった。幼い子、七人を抱えての生活は、誰から見ても無理だった。だが、母はその話を断った。母はその男が嫌いだったのだ。お金持ちのその男には、すでに三人も妻がおり、母は四人目だった。母は「わたしが持っている土地が目当てよ」と言っていた。それも一つの理由かもしれない。だけど、わたしと姉のティは話し合った。
「マーンマは美人だからね」
「そうよ。そうよ」
 引き締まった顔に、きれいな大きな瞳を持つ母は「美人」と言われていた。とくにわたしたちは、美しい母を誇りに思い、大好きだった。

 父の居ない生活が始まった。
 一〇歳のわたしの下には、八歳から三ヶ月までの、四人の妹と弟がいた。上には一一歳のティと、一四歳の兄がいた。
「ねー。マーンマ、わたし明日から学校行くのやめるよ。そして子守をするよ」
「わたしもやめてマーンマの仕事を手伝う」
 とティも言う。
「二人とも学校にお行き。学校が好きだって言ってたじゃないか」
「いいのマーンマ、学校に行かなくたって勉強はできるし。それより働きたい」
「・・・」

 本当は学校に行きたかった。わたしもティも成績がよく、いつもクラスの級長をしていた。父が生きていたら、二人とも当然中学校までは行けただろう。もしかしたら、高校にだって行けたかもしれない。
 だが、このあたりの農村では、小学校三年ぐらいで学校に来なくなる子が多かった。インドネシアの農村の子は、一〇歳になったら、もう一人前に働くのが普通だ。だから、父のいないわたしやティが学校をやめるのは、誰から見ても当然のことだった。
 ティは洗濯と畑仕事を手伝い、わたしは子守をした。兄は中学を終えたら高校に行きたいと言う。

 三年の歳月が流れた。
 わたしたちの生活は相変わらず苦しかった。土地を少しずつ売って、兄の高校に行くお金にした。

(つづく)

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