kitombo.com | デウィとの五〇〇日 | 2004年5月31日 
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デウィとの五〇〇日
「『デウィとの五〇〇日』(6)」

大地舜
5月31日

 数日後のことだった。
「今夜のスープは飲んじゃだめよ」
 とスリが言う。
「なんで?」
「クーラン。まずいのよ」
「でも・・・」
 アッと言う間もなく、スープは捨てられていた。次の日も同じで、わたしに聞きもせず残飯を捨ててしまう。
「わたし食べたかったのに・・・」
「他のがまだあるじゃない。捨てたのはまずいやつなの」
 スリは料理をトワンさんと作っているから味も知ってるし、それにわたしは、何しろお腹さえ膨れれば、不満はないのだ。
 こんなことが続いて四日目の朝だった。
 救急車のサイレンの音で目が覚めた。まだ外は暗い。居間の方が騒がしい。
「スリ、起きて、何かあったようよ」
 スリを叩き起こすと、わたしは居間に走った。
 居間には家族が集まっており、救急車に運ばれていた。旦那様も奥様もお腹を抱え、激痛に顔をゆがめていた。わたしは奥様の歩く手助けをした。
 食中毒に間違いなかった。料理を作ったトワンおばさんも病院に運ばれた。まったく中毒にかかってないのは、スリとわたし、そして昨夜体具合の悪かったイメルダだけだった。

「スリ、中毒の原因は何かしら。心当たりはない?」
 薄暗いメイド部屋の中でも、スリの顔が青ざめているのが判った。
「ねー、この間から残飯をすぐに捨てていたけど・・・何か・・・料理の中に何か入れたんじゃないの?」
「・・・ウーン。ちょっとね」
「何を入れたの?」
「ゴキブリ」
「えっ?」
「最初はゴキブリを刻んでスープに入れたの。でも誰も気づかないし反応が無いの。だから次は犬のフンを入れたり、ハエを入れたの。それでも反応がないから、昨夜は別のものを試したの」
「何を入れたの?」
「腐ったカニ」
「それだけ?」
「・・・それと・・・台所に無色・無臭の殺虫剤があるじゃない・・・あれを入れてみたの」
「馬鹿ね!奥様や旦那様が死んだらどうするの?わたしたちも殺されるわよ!」
「そうかー」
「逃げるのよ!今すぐ!」
 二人は急いで荷物をまとめ始めた。そこへイメルダの声がした。もう病院から戻って来たのだ。
「スリ、デウィ、台所へおいで!」
 イメルダの声が部屋の外でした。もう逃げることはできない。
 台所は、朝食の準備中のまま放り出されていた。小さな鍋にはお湯がたぎり、野菜はきざまれたままだった。
「スリ、デウィ、おまえたちだね!食べ物の中に何を入れたのよ?」
「・・・・・・」
 イメルダは、ふと、部屋の隅にある殺虫剤に目をやった。
 スリの顔色が変わった。
「スリ、お前だね!」
 イメルダはお鍋の把っ手を両手でつかむと、スリめがけて投げつけた。
「ギャー!」
 煮えたぎる熱湯はスリの顔と腕、それにわたしの左腕にかかった。
「熱い!」
 つんざくような悲鳴をあげたスリは、その場にしゃがみ込み、顔を押さえ、体を震わせている。
「目が目が・・・」
「スリ・・・・・」
「目が、目が見えない・・・」
「冷やすのよ!」
 わたしはバケツに水を入れ、スリに浴びせた。また、浴びせた。
「痛い!痛い!」
 スリを抱えてメイド部屋に寝かせた。イメルダが薬を持ってきた。無言で軟膏を置くと出ていった。
 急いで軟膏を顔と腕につけた。顔も腕も真っ赤だ。やがてスリは意識もうすくなり、熱が出て来た。わたしはなにしろ冷やそうと思って、バケツに水をくんで部屋に置き、顔と腕に冷たいタオルを置いた。
 二日間スリは苦しそうにうなり続けた。
「お嬢様、医者を呼ばないと・・・」
 イメルダは横を向いて、わたしを無視し、自分の部屋に入ってしまった。
 三日後に家族が退院してきた。もうすっかり元気になっていた。

 スリは左目を失明していた。
 そして、人間も変わってしまった。残された右目が鋭くなり、態度もふてぶてしくなった。
「目はどうしてくれるんです?」
 スリは奥様に詰め寄った。
「運が悪かったわね。もう暇をやるから出ていきなさい」
「目はどうなるの!」
「いくら欲しいの?」
「・・・・・」
「ほら一〇万ルピアよ。これでいいだろう。それとこの書類にサインしておくれ。示談書だよ」
 スリは憎々しげに奥様とイメルダをにらむと、一〇万ルピアを引ったくり、サインをした。そして荷物をまとめ、肩をそびやかして出ていった。わたしは無言のうちに門まで見送った。顔の左半分は火傷で引きつっていた。痛々しくて、なんと言っていいのか分からなかった。

「わたしも辞めます!」
「おまえは居なさい。今は辞めさせないよ」
 わたしの願いは聞いてもらえなかった。この事件の一部始終はすぐ近所に知れ渡る。そうすると当分新しいメイドはやとえない。だからわたしが必要なのだ。
 わたしは監禁されたも同然だった。外に出る鍵は取りあげられ、家族が外出するときは家の中に閉じ込められた。裏庭から屋根ずたいに逃げたくても、鉄条網が張り巡らされており、無理だった。

 ある日偶然、イメルダと弟さんの会話を聞いてしまった。
「姉さん、メイドは”サル”じゃないよ」
「何言ってるのよ、教育の無い人間は”サル”なのよ。話したって無駄だし、やっちゃいけないことは体で判らす必要があるのよ!」
「熱湯でかい?」
「そうね。それも悪くないわね。だいたい読み書きできないメイドなんて、サルと一緒と思わない?」
「ぼくは思わないな」
「フン、あなたは博愛主義者なのね。ロマンチックで結構だけど、現実も見てちょうだい。わたしたちは少数民族なのよ。色の黒い連中に馬鹿にされたら、今に立場が逆転してしまわ。だから徹底的に押さえつける必要があるのよ」
「そうかなー?ぼくは中国系とジャワ系は仲良くしていけると思うなー。もっと混血すべきなんだよ」
「あー嫌だ。鳥肌が立ったわ。あなた気は確か?ジャワ人だってマドラ人だって性格は不可解だし、能力だってわたしたちより劣るのよ」

 わたしは二人の会話を聞いて、この家を出る決心をした。イメルダと同じ屋根の下に住みたくなかった。わたしは”人間はみな同じ”と、子供の頃から教わってきた。まして”サル”でなんか、絶対にない。
 二週間がたった。ある日わたしはお昼頃フラッと門の外に出た。後ろを振り返ると、二階のベランダから弟さんが見ていたので”ギクッ”とした。でもそのまま歩き続け、二度とイメルダの住む家には戻らなかった。メイド部屋には荷物をすべて置いてきた。こうしなければとても脱出ができなかったのだ。

(つづく)

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