わたしたちの部屋はまあまあ奇麗で、テレビまであった。食事の方もまあまあで監禁されていることを除けば、優雅な生活だった。給与の支払いも契約書通りだという。
一週間がたち、二週間が過ぎた。わたしは脱出のチャンスをうかがった。ありとあらゆる方法を考えたがいい案はなかった。
建物の周囲にはすごくどう猛な犬がいるし、塀も高い。正面の入り口には鉄のシャッターが降りており、目つきの悪い番人がいた。
週二回、中型トラックが工場に来て、でき上がった商品を外に運び出す。運転手は工場のオーナーの一族で次男坊だった。
一ヶ月ほどたったある日、わたしはトラックのそばに寄ってみた。次男坊は後ろ姿で太ったインド女性と話をしている。番人はイスに座り、ボンヤリと外を見ている。
チャンスだった。そーっとトラックの後ろにまわり荷台をのぞいた。中は布地でいっぱいだった。
肩に手が触れた。振り向くと次男坊の大きな顔が目の前にあった。目つきは長男坊ほど鋭くない。
「後ろは荷物で一杯だろー」
顔は笑っていたが目が笑っていない。わたしは急いで逃げた。
イボンヌには笑われた。
「そんな手は駄目よ。古いわよ。もうありとあらゆる事はやってみたのよ。仮病も使ってみたし、火事を起こそうとしてみたし、番人を買収しようとしてみたけど、みんな無駄だったわ」
「本当・・・」
「でもねデウィ、唯一、残されている手があるのよ。危険だけどやってみる?一人じゃできないの。二人だったら成功するかもしれないわ」
「やるわ!絶対やる!」
イボンヌは美しい服を着て仕事をするようになった。見違えるほど美しい。胸のボタンも上から三っ目まではずし、うつ向くとふっくらしたふくらみが見える。
思った通り、次男坊がイボンヌに目をつけた。用事も無いのにイボンヌのそばに来てモジモジしている。何か言いたそうだ。イボンヌは花が咲いたような笑顔でわたしに話しかけ、時々チラッと次男坊の方を見る。
長男坊もそれとなくやって来て、ため息をついてイボンヌを見ている。
二週間ほどたったある日、次男坊は突然、予定日でもないのに工場にやって来た。
イボンヌの所に来て、後ろの住居の方に来いと目配せをする。他の針子たちは何事かと思って二人を盗み見している。イボンヌはわたしの手を引っ張って住居に向かった。
わたしたちの部屋に入るとイボンヌは、次男坊に抱きついた。その瞬間、わたしは男のズボンのポケットに入っていたトラックの鍵を引っこ抜いた。
次男坊はあわててイボンヌを振りほどこうとした。イボンヌは、思いきり、男の股間を蹴り上げた。
「ウゲー!」
男は顔をしかめて横転した。
「いそげ!」
二人はドアを閉め、鍵をかけ、あらしのように仕事場を走り抜け
「みんな、逃げるのよ!」
と叫びつつ、トラックに突進した。
わたしはシャッターのスイッチに走っていって、グリーンのボタンを押し、ふたを閉め、鍵をかけた。
イボンヌはエンジンをかけていた。わたしは助手席に飛び乗った。
シャッターは大分上がってきた。外で見張り番をしていた番人が異常に気づき、トラックの方に走ってくる。次男坊も住居の方からすごい顔で走ってくる。針子たちも、ようやっと自由の世界に向かって走り出した。
イボンヌはアクセルを踏んだ。トラックは猛スピードで正面の鉄柵の門をぶち破った。しかしその勢いで、道路の反対側のコンクリート塀に激突した。エンジンが止まった。
「逃げるのよ!」
イボンヌの声と共に、二人は左右別方向に駆け出した。
針子たちは「ワーッ」と歓声をあげて正面の門に向かっている。
「犬だ!犬を出せ!」
誰かが叫んだ。
わたしは夢中で駆けた。後ろを振り向いたら犬が追ってくる。急いで川岸のコンクリートの土手に飛び上がった。土手を駆け出そうとしたら、犬が体当たりしてきた。よけそこなったわたしは土手下の草むらに転げ落ちたが、犬は勢い余って河の中まで落ちた。
橋の上には長男坊の後ろ姿があった。男が気がついて振り向いた瞬間、わたしはふくらんだお腹めがけて頭突きをした。
「グエッ!」
長男坊はうめき、二〜三歩後へよろけた。
わたしは橋の上を走った。追手も橋を駆けてくる。橋の先は倉庫ばかりでかくれるところは無い。
「ドロボーだ。ドロボーだ」
「捕まえてくれー!」
すぐ後ろに長男坊の荒い息使いが聞こえてくる。
<もうダメだ!>
左手にお店があった。肩をつかまれた。
その手を振り切ってお店の中に飛び込んだ。長男坊は勢い余って”ガシャーン”と、お店のショーウインドウに激突した。
店の奥に走った。突然、上から肩をグイとつかまれた。これで終わり!だった。
上を見上げたら、色の黒い、大きな中国人らしい男だった。
「助けて!」
わたしの声は、音にならなかったようだ。
長男坊は血相変えて息も荒く、
「うちの使用人なんです。品物を盗んで逃げたんで、連れて帰りますよ」
と言う。
大きな男は無言でインド人の長男坊をにらんでいる。そこへ、この店のおかみさんらしい女性が出てきた。
「どうしてくれるの!ショーウインドウを壊してしまって!弁償してくれるんでしょうねー!」
「も、もちろんしますよ」
急に長男坊は愛想笑いをして、すまなそうに言った。
「あんたの使用人だという証拠はあるのかね?」
大きな中国人らしい男は太い声で聞いた。
「あ、ありますよ。雇用契約書が・・・。すぐ取ってきますからこの子を返してください」
「明日でいい!それまでこの子は預かる。さー、もう出ていってくれ」
わたしは体の震えが止まらず、腰が抜けてしまったように座り込んでいた。
「この子を逃がさないでくださいよ」
長男坊は疑い深そうにそう言って、それから今度は女の人とショーウインドウの件で交渉を始めた。
「おい!この子を奥へ連れていけ!」
わたしはジャワ人の女の子に引っ張られて奥の階段を二階に昇った。そして、その日の午後も、日が暮れても、放って置かれた。食べ物だけは届けてくれた。部屋のドアは開いているし、逃げようと思えば、いつでもできた。
わたしは夜を待った。このお店の出入り口はインド人に見張られているに違いない。夜中になった。わたしは部屋を抜けると屋根づたいに逃げた。足の裏の傷が痛んだ。やがて民家の物干し場があった。そこの物陰に身をひそめ、夜明けを待った。
空が白くなってきた。わたしは道路に降り、ビッコを引き引き、遠回りをしてティのところまで歩いた。二時間以上かかった。
三日後にドーバー村に帰った。母にすべてを話したら、目を大きく見開き、そして強く抱きしめてくれた。何もいわなかった。でも母の顔をのぞいたら、目には涙があふれていた。
わたしは強くなりたい、と、つくづく思った。そしてお金が欲しかった。たとえ人を騙したって、結局お金持ちになれば勝ちなんだ、と考えていた。そんなわたしの心が分かったのかもしれない。母の言った言葉が、胸にしみた。
「わたしの大切なデウィ、たとえ人に騙されても、お前は人を騙しちゃいけないよ。人は人、お前はお前なんだからね」
二〇日ほどたったらティがドーバー村に姿を現した。「安全な場所があるよ」とのことだった。年老いた夫婦の家でメイドを探しているという。
(つづく)