kitombo.com | デウィとの五〇〇日 | 2004年6月21日 
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デウィとの五〇〇日
「『デウィとの五〇〇日』(9)」

大地舜
6月21日

デウィ、お金はどこ?

 今度の家は、スラバヤの古い高級住宅地の中にあった。昔、このあたりにはオランダ人が住んでいたそうだ。その頃を思い出させるような建物や家もそのまま残っていた。家は石造りで天井が高く、古めかしい家具も立派だ。
 この家の旦那様は六〇歳くらいで、痩せて背が高く、青白い細長い顔にブチのメガネをかけていた。心臓が悪いそうだ。だからかな、七〇歳くらいの老人に見える。
 奥さんの方は丸々と太っており、こちらも度の強そうなメガネをかけている。メガネの奥の目は冷たい。奥さんは友達と外出することが多く、わたしは旦那様と二人だけの時が多かった。
 住み込みのメイドはわたし一人だ。通いのメイドはスミアティおばさんといい、料理を担当していた。おばさんは昼間この家で働いて、夜は焼きソバの屋台を出して商売をしている。日に焼けた丸顔も、丸々と太った体も頼もしい、そして、いかにも人のよさそうな感じだ。
 ご主人とは離婚しており、一人で四人の子供を育てている。スミアティおばさんはわたしに色々な料理を教えてくれた。おかげでわたしはすっかり料理が好きになったし上手にもなった。おばさんのおかげだ。

「旦那様、また千ルピアがポケットに入ってましたよ」
「あー、ありがとう」
 これで何度目だろう。旦那様の服を洗うと必ずお金が出てくるのだ。最初の頃は気づかずに洗ってしまい、ビショビショのお札を乾かして旦那様に渡していた。二週間たった今では、洗う前にポケットを調べている。
「この家の旦那様は本当に忘れっぽいんですね。おばさん」
「ポケットに入っているお金のことかい?」
「エー、いつも入ってて・・・」
「それはねーデウィ、お前さんは試されているんだよ。前に居たメイドは時々そのお金を返さなくてねー。それで辞めさせられたのさ。デウィも気をつけなよ」
「えー。そんな・・・」
 わたしは不愉快だった。死んでもそんなことするわけないのに・・・。
 数日後、旦那様に雑貨品を買ってくるよう頼まれた。
 この家の門を出ると、そこはヤシの木の通りで、ヤシの葉が緑の天井を作っており、昼間でも涼しい。わたしの好きな散歩道だ。でもこの並木通りも大雨が降るとバンジール(洪水)に浸ってしまう。そうなると水がヒザまでにもなり、車も通れなくなるし不便だ。
 雑貨屋は家から五分の所にあり、そこからは近くの高い高いホテルが見える。そして、スラバヤ動物園もすぐ近いはずだ。
 タバコやカミソリの刃を買って帰ると、旦那様は居間のソファに座っていた。
「旦那様、買ってきました。これはおつりです」
「あー、ありがとう」
 旦那様は品物と値段のチェックをするだろうと思っていたのに、ただおつりを数えただけだった。
「おばさん、わたしも大分信用されてきたみたいよ。だって全然品物の値段を調べもしなかったわ」
「アハハハ、デウィ、よかったね。でもね、さっき旦那様が電話をしてたろう。あれは雑貨屋にかけてたのさ。おつりをいくら渡したか確認してたよ」
「えー、ひどい」
「メイドを信用する家主なんていないんだよ、デウィ。わたしたちゃー貧乏だからね。でもここの旦那様の疑い深さは病気だからね。気をつけないと・・・」

 この家の居間にはきれいな飾り棚があった。そしてその中には、いつも指輪やペンダント、お金などが放ってあった。もしもこれが無くなったら疑われる。だからいつもお客が帰った後は数を数えていた。
 可愛い指輪や金のペンダントは、目の毒だった。あんなものを一つでもいいから持てたらな、といつも思っていた。
 でも、どうしてご夫妻は高価な品物をあのように置きっぱなしにしておくのだろう?
 置いてある物はよく変わった。ルビーの指輪やダイヤモンドのイヤリングが置いてある時は、胸をドキドキさせて見入った。品物はよく変わるけど、数はいつも七個だった。

 二ヶ月ほど過ぎたが、わたしはやっぱり信用されてないようだった。回数は減ったけどまだ時々、ポケットの中にお金が入っていた。そして旦那様は時々雑貨屋へ電話しては値段の確認をしていた。
 いつまでも疑われるのは、嫌だった。でも耐えるほかなかった。
 ある日、一つの考えが心をよぎった。
 <昼間の宝石はなんで置きっぱなしなのだろう?もしかすると、わたしを試しているのじゃないだろうか?>
 そうに違いなかった。
 心の中でムラムラと怒りの炎が燃えた。
 旦那様も奥様も、わたしが宝石を盗むのを待っているのだ。そして「やっぱりジャワ人は信用できない。中国人とは違う」とでも言うのだろう。
 くやしかった。そして、悲しかった。いくら誠意を尽くしても、旦那様の疑い病を変えることはできないのだ。だったら、いっそ旦那様の期待に沿った方がましだ。
 翌日から考えを変えた。洗濯のときポケットに入っているお金も、ときどき返さなかった。ペンダントも一つ失敬した。
 わたしの居ない時に、メイド部屋に誰かが入ったようだ。なくなった宝石を探しに入ったのだろう。きれいにたたんであった服や寝間着まで、いつもの位置からずれていた。でも、やがて飾り棚の宝石の数も七個に戻った。
 数日後、もう一度指輪を失敬した。今度は旦那様に呼ばれた。
「どうも指輪が無くなっているようなんだが、デウィは知らないかい?まさか昨夜の客が持っていった訳ではないだろうし・・・」
「今朝、部屋の掃除をしましたけど、どこにも落ちていませんでしたよ」
「・・・・」
 わたしは別に怒られることもなく、やがて宝石類は七個に戻った。メイド部屋の私の服はもちろん、また位置が変わっていた。
 洗濯のことでも呼ばれた。
「デウィ、今朝の洗濯物の中にお金が入っていなかったかね?」
「気がつきませんでしたけど」
 旦那様の青白い顔がだんだん赤くなってきた。
「わかった。あっちへお行き!」

 犯人はわたしに決まっていた。他には誰もいる訳が無かった。それなのにご夫妻は、何も言わず、陰でゴソゴソわたしの部屋を探索していた。
 一度もわたしのことを信用したことがないくせに、表面だけは信用したふりをする。わたしはそういうご夫妻の態度に我慢ができなかった。
 それからまた二週間ほどたって、又、指輪を一つ失敬した。お客様が来ている居間でのことで、誰も気づかなかった。
 翌朝、旦那様に呼ばれた。
「今日限りで暇をやるから、午前中に出ていきなさい」
「・・・・」
「お前にはガッカリしたよ。期待していたんだが・・・」

 わたしはすぐに荷物をまとめた。ご夫妻はメイド部屋に来て、手荷物のトランクやハンドバッグの中を綿密に点検した。その間にわたしは台所に行き、スミアティおばさんにお別れの言い、小箱を受け取った。
 メイド部屋に戻ると、旦那様はソワソワと落ち着きがなく、奥様も太った体を揺さぶって何か言いたそうだった。
「ではこれで失礼します」
「・・・・」
 二人の目はわたしの小箱に集中している。
「あっ、これはお二人への贈り物です」
 努めて平静を保とうとしたけど無理だった。頬は引きつり、足がふるえた。
「宝石とお金が入っています。サヨウナラ」
 やっとこそう言うと、わたしは”プイ”と後ろを振り向き、門にむかった。目の片隅にご夫妻の「アッ」と驚く顔が映った。

 裏門まで来たら、スミアティおばさんが追いついて来た。
「デウィ、よかったらうちに来ないかい?次の仕事が見つかるまで居ていいよ」
「ありがとう。あばさん。でもいいよ」
 何も思い残すことは無かった。後悔もしていなかった。でもなぜか、涙があふれてきた。上を向いたら、青い大空が広がっていた。
「あー、わたしって短気だなー」
 青い深い空のように広い心が持ちたかった。でもしようがない。我慢できないものはできないし。これはわたしの性分だから。

 このあとわたしは、仕事を二度ほどかわった。だが家主との緊張した関係は、いつも同じだった。ジャワ人の家でも働いてみたが、やはり心の休まる場所ではなかった。
 わたしは疲れていた。他人を信じることができなくなり、いつも人の言葉の裏を考えて生きていた。なんと疲れる生き方だろう。そして精神的な疲れは、いつか肉体的にも影響がでた。
 わたしはとうとう体調を崩し、休養するため田舎に帰った。

(つづく)

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