ノーブラがいいの
最近、エニーは夕方になると、裏の高い門柱の上に座ってボケッとしている。
「みっともないから止めたら?」
と、わたしは言うのだけど、
「いいのよ」
と言って止めない。
エニーはエクボの可愛い、目元のクッキリしたかわいい子だ。石の門柱の上に座って目立つ必要がないくらい、よく男たちから声をかけられる。先日も、結婚を申し込まれた、と言って相談に来た。
「ねー、デウィ、わたし結婚しようかと思うの」
「え、ほんとう?誰と?」
「この間から二〜三回会いに来ていた運転手の人いるでしょう。あの人がどうしても結婚してくれ、と言うの。人は良さそうだし、しっかりした仕事を持ってるし、ハンサムだし、わたしも嫌いじゃないわ。ねー、どう思う?」
「ウーン、あの人ねー。いい人だとは思うけど、でもちょっと年齢がね・・・。たしか三二歳とか言ってたでしょ。だとしたら、前に結婚したことがあるんじゃない? あるいは、今別れてて子供がいるとか・・・。よく聞いてみたの?」
「もちろん聞いたけど、まだ結婚したことないって言ってたわ。でも、そう言えば、あの年でまだ結婚した事ないなんて、おかしいかー」
「そうよ! よく調べた方がいいわよ。あの人の家はどの辺りだったっけ? たしか、モジャパイト通りだったわねー。じゃー、リーの妹があの辺りで働いているから調べてもらったら?」
「ウン、じゃー、念のため調べてもらうわ。でもあの人に限って、嘘を言う訳ないんだけどなー」
エニーがこの結婚話に乗り気なのは当然だった。男はいかにも真面目そうだし、わたしから見ても、たくましくて、頼りがいのありそうな人だった。
調査の結果は予想外だった。
その男はすでに一〇年も結婚しており、子供も三人いた。エニーもわたしも自分たちの耳を疑った。だが、その報告に間違いはなかった。リーの妹がその男の家まで行って、メイドから詳しく聞いて来たのだから。あんなに真面目そうな人が嘘をつくなんて・・・。
エニーに結婚を申し込んだ男は、何も気づかずにまたやって来た。エニーは待ち構えていたのだ。
「このウソつき! バカヤロー! 出ていけ! もう二度と顔見たくない!」
エニーはそう怒鳴ると、ドアを“バシャン!”と閉めて、鍵を掛けてしまった。わたしは一瞬だけれども、男が薄笑いを浮かべたのを目撃した。
「デウィ、今の音なーに?」
と、奥様が居間からガレージまで出てきた。わたしはすべてを説明した。
「あら、早く調べがついて良かったわねー。でも、あの運転手はすごく誠実そうだったけど、人は見かけによらないものね」
「でも奥様、こんな事はよくあるんです。妻子のある男が出稼ぎに行って、そこで独身と偽って結婚したり、そして子供ができると姿をくらましてしまったりするんです。だから、自分の身は自分で守らないといけないんです」
この事があってから、エニーはだいぶ男に対して用心深くなった。でも、あい変わらず男の人に声をかけられるのが嬉しいらしく、いちいち相手にしている。
わたしがこの家に来てから、すでに三ヶ月もたっていた。そして、いつの間にか、わたしとエニーの立場も変わっていた。今では、料理を作るのも、仕事の指揮もわたしがしている。
エニーが一人の時、庭には草が伸び放題だったけど、今は毎週芝刈りをし、雑草を抜いている。また、庭の隅々には花を植え、野菜畑も作り、ネギとトマトを栽培している。
「デウィが来てから、家の中も外も、見違えるほどきれいになったわ。ありがとう」
と、奥様からは言われた。
大理石の床が汚れていると、わたしは無意識のうちに体が動いて、掃除してしまう。でもエニーは正反対で、床が汚れていようが、ゴミが落ちていようが、全然気にしない。わたしが頼むと、ノロノロと動いてきれいにしてくれる。
エニーは大理石の床を雑巾掛けする時も、丸く拭く。だから部屋の四隅には、いつもホコリが残っている。ガレージの床も、エニーが拭いてもさっぱりきれいにならない。真剣に力を入れたりはなぜか決してしない。仕方がないので、わたしがいつもやり直しをしている。
エニーはかわいい顔をしており男にもてる。だから怠けていても大目に見てもらえるのかしら? それとも、ご主人様がエニーに甘いのかしら? それとも、一生懸命働いてしまう、わたしの方がバカなのかしら・・・? と、いろいろ考える時もある。
でも、奥様はエニーの事もわたしの事も、はっきり見ていると思う。だから、やっぱりわたしは、不平を言わずに、一生懸命働いていれば、それでよいのだと、いつも自分に言い聞かせている。
エニーがパーマをかけてきた。今、スラバヤのメイドたちの間で流行している。鳥の巣のような、アフロ・ヘア・スタイルだ。どういう心境の変化かしら。この間の結婚騒動と関係があるのかな?
そして、突然、エニーはブラジャーをしなくなった。
「エニー、なんでブラジャーしないの? 横から見るとボタンの間から、胸のふくらみが丸見えよ」
「ウン、でもしないと気持ちがいいの。それに奥様だってしてないし、いいじゃない」
エニーの胸のふくらみは、特別にジャンボじゃないけど、張り切っており、形がいい。わたしは病弱タイプなので、エニーのほど張り切ってなくて、いつも、うらやましく思っていた。
「ねーエニー、客間でテレビを見る時はご主人様も居るし、ブラジャーしてた方がいいんじゃない?」
「いいの、いいの、ご主人様には裸のところ、バッチリ見られてしまったし」
「エーッ、いつ?」
「この間、部屋の中で裸を鏡に写して見てたの。その時ちょうど、ご主人様が突然帰宅したのね。それで、ほんの一瞬だと思うけど、カーテンのすき間から、上半身裸のところ、バッチリ見られちゃったの。心臓が止まりそうだったわ。でも、もういいの。平気よ。裸を見られたって」
その夜はインドネシア語の特訓があった。わたしとエニーは音声を消して、客間でテレビを見ていた。エニーの胸のふくらみは、ほとんど丸見えだった。わたしは心配した。そのうえエニーったら、ショートパンツのチャックまで開けっ放しだ。
ご主人様はトイレに立った帰りに、エニーの横を通り、チャックのところを覗いていた。エニーは平気な顔をしてたけど、わたしの顔は赤くなった。
「エニー、チャックが閉まってないわよ!」
「ウン、知ってる。だって閉めるとキツイんだもの」
こんな事があってから、わたしは今に何かが起こるのではないかと、感じ始めていた。
そのうち、近所でエニーの評判がいろいろ立ち始めた。この高級住宅地の実力者である市会議員のパブリコ氏も、エニーに気がついていて
「あの子がいると、この住宅街の風紀が乱れる」
と、夫人に話していたと、その家のメイドから連絡があった。この事は、奥様に報告しておかなくてはいけない。
たしかに最近のエニーは度が過ぎている。門柱の上に座るのは、奥様に注意されて止めた。でも男たちとはよく付き合っている。
午後の昼寝の時間にも、エニーは時々姿を消すようになった。そして四時頃、帰ってきてシャワーを浴びる。どうやら近所の空き家に行って、ボーイや運転手たちと遊んでいるらしい。このまま放っておくと奥様やご主人様が、近所の家主に非難されてしまう。
「奥様、エニーのことが近所で評判になってますけど、どうしましょう?」
「そうねー。困ったわねー。何度も注意したのに無断で外出するし、スワミ(主人)と相談するけど、もう辞めてもらう他ないわねー」
「じゃー、ご主人様も了解したら辞めさせるんですね?」
「えー、そうするわ」
「それじゃー、エニーを辞めさせる時、わたしも一緒に辞めさせてください」
「エッ、どうして、あなたは居ていいのよ」
「えー、でも一人だけ辞めさせたら、エニーがかわいそうです。わたしも一緒なら、エニーも傷つかないし」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「ということは、デウィは後で戻ってくるわけね?」
「はい。もう一度、呼び戻されたことにして戻ります」
「・・・・・・」
ご主人様の可愛がっているエニーだから、ご主人様が辞めさすのに同意するかどうか、疑問だった。しかし、ご主人様は意外にあっさりと、「辞めさせる他ないな」と言ったそうだ。
メイドはいつも突然クビになる。インドネシアの家主たちは、突然辞めさせないと、家の品物を持ち出されると、固く信じているからだ。
数日後の朝、奥様に突然、
「辞めて、デサ(村)に帰りなさい」と言われた。
エニーはびっくりして、
「どうして?どうして?」
と泣き始めた。
エニーにとってこの家は、自由を与えてくれたし、とっても居心地が良かったのだ。それにご主人様も奥様も、わたしたちを怒る、ということが無かった。そしてエニーは、家族の一員として、可愛がられていた。
「どうして? どうして? なんで辞めさせられるの? それにデウィも一緒なの? なんで?」
エニーはなぜ辞めさせられるのか、まったく見当がつかないようだ。
「市会議員の家から、わたしたちのことで苦情があったらしいわよ。エニー」
このわたしの言葉にエニーは、ハッとし、そして泣くのを止めた。
それから半日、エニーとわたしは最後の掃除をし、メイド部屋を片づけた。二人とも旅行バッグ一つに、ダンボール箱一個しか荷物がなく、身軽だ。
奥様は堅い表情で、形式的にわたしたちの荷物の中味を調べ、そして、最後の給料を渡してくれた。
お昼になって、エニーとわたしはベチャに乗った。エニーはまだ泣き顔だった。近所のメイドたちが出てきて、別れを惜しんでくれた。
「なんで、デウィも辞めさせられたの?」
と、みんなは驚いていた。
バスのターミナルでエニーと別れた。エニーはお兄さんの所に行くという。わたしは姉のティの所に行った。
来年になったら奥様は出産だし、どうしても、もう一人メイドが要る。もし出来たら、ティにジャムの店を辞めて、一緒に働いて欲しいと思った。
ティは「来年の一月からなら働いてもいいわ」と言う。これで一安心だ。
三日後にわたしは奥様のもとに戻った。近所のメイド仲間が集まってきて、
「やっぱり戻ってきたのね。当然よー。良かった」
と言って、歓迎してくれた。
エニーは半月ほどたって訪ねてきた。この家から一五分ぐらいの所に、メイドとして住み込んでいるという。そして、その後すぐ、近所で運転手をしていた男の人と結婚して、マラン市へ行ってしまった。
(つづく)