暴動の余震 2
「ジロー、昨夜のテレビの張本人の話どう思う?」
サリーさんは興奮気味に尋ねた。
「そうだなー。もっともらしい話だったと思うけど・・・」
「そうでしょ? ところがジャワ人の学生たちは、あのストーリーは怪しい、と言うのよ」
「エーッ、どういうこと?」
「あの張本人の若者は、あーいうストーリーにしろと命令されてたんじゃないか、というわけ。生放送じゃなくて、ビデオ・テープだったでしょ」
「ウン。それはそうだな」
「つまりね。ジャワ系の学生達は『デマ』を飛ばしたのは、政府のスパイじゃないか、と言うの。つまり、学生は政府に巧く挑発されて暴動に走ったわけよ、判る?」
「ウーン、なんとなく判るけど・・・」
「スハルト政権というのは、軍部と中国人の金持ちの支持で成り立っているでしょ。だから時々今度のような暴動が起こって、中国系の肝を冷やした方が、献金も増えるし、支持も強固になっていいわけよ」
「なるほどねー。ジャワ系の物の見方はおもしろいねー。でも、その見方が正しい可能性があるとすると、インドネシアも恐ろしい文化を持っているわけだなー」
二人の会話の内容をサリーさんから説明されて、わたしは信じられなかった。とても昨夜のテレビの内容について疑うなんて、信じられなかった。
この話がサリーさんの口から出てなければ、わたしはバカバカしいと、すぐ忘れてしまっていただろう。でも、大学の学生さんたちが言うのだから、本当かもしれない。
この反中国人暴動のあと、サリーさんは大変に悩んでしまった。
「ねー。わたし日本に移住できないかしらヨシエ? 兄や弟もインドネシアを脱出したいと言うの」
「日本は難しいところなのよサリー。閉鎖的で文化的偏見が強いの。それより、シンガポールやカナダ、アメリカはどう?」
「うん、シンガポールに船で密入国した人がいるのね。その人はすぐインドネシアに送還されてきたのよ。だからシンガポールは駄目ね」
「そりゃ、密入国はどこでも駄目よ。隣の家の子供は二人ともカナダの大学に行っているでしょう。ご両親は、どうやら子供を頼ってカナダに移住するようよ」
「うん。わたしの姉と妹がドイツに留学しているけど、妹の方がドイツ人と結婚するの。だから妹に頼って行けるのかなー?」
「そうよ、そういう手がかりがあった方がいいでしょうね。お兄さんや弟さんは何て言っているの?」
「どうしても脱出したいって。そのうち、今のジャワ人の立場と、中国系の立場が強制的に逆転されるんじゃないかって恐れているのよ。工場はジャワ人に取られて、弟たちはベチャの運転手になる他ないとか・・・」
「それは無いと思うわ。だって中国系がビジネスのノウハウを握っているし、中国系なしでは、この国の経済が壊れちゃうでしょう?それに、中国系と言ったって、みんなここで生まれ育って帰る所は無いし、やっぱり、もう、自分はインドネシア人だと思っているんでしょう?」
「うん、わたしはね。でも、あんな恐ろしい暴動があると、ここにいるのは恐いわ。殺されるかもしれないのよ。コンコン(父親)も『何処でも好きな国に行っておしまい。お父さんは寂しいけど、我慢はできる。帰って来なくても、お父さんは怒らないよ』と言ってくれるの。ねー、どうしよう。ヨシエ」
奥様は涙ぐんでいた。コンコンの気持ちを想ったのだろう。サリーさんも涙もろい。奥様の涙を見て泣きだした。
わたしはやり切れない気持ちになった。どうして同じ人間同志なのにいがみ合うのだろう。そりゃー、いばった中国人は多い。だけどジャワ人だって同じだ。よい人ばかりじゃない。
前にわたしがメイドをしていた家のイメルダ、あのイメルダだったら、わたしでも石を投げつけてやりたい。でもサリーさん一家は別だ。サリーさん一家まで恐怖に落とし入れるなんて、何かが間違っている。
二人の話を聞いていて、わたしの心は乱れた。そして、またまた怒りの炎がメラメラと赤く燃えてきた。わたしって、いつでも、どうしようもないことに直面すると、泣かないで怒るみたいだ。
「サリーは女の子だから外国に移住しやすいかもね。結婚すればいいんだから・・・。でもお兄さんや弟さんは大変ね」
「そうなの。兄の方は工場主を辞めて、料理人にでもなろうか・・と言っていたわ。料理人だったら世界中、どこに行ってもお店が開けるでしょう」
「うーん。でも、もったいないわねー。立派な工場主なのに・・」
「弟の方は、これから一生懸命勉強して、アメリカに留学すると言ってるわ。でも、もともと勉強嫌いだし。どうなることやら・・・」
わたしは、サリーさん一家にはスラバヤに居て欲しい、と心から思う。工場が無くなったら、兄夫婦も生活できなくなるかもしれない。だけど、そんな理由じゃない。あの心の暖かい家族が居なくなったら、わたしの心の何処かが冷えきってしまうのだ。
わたしはサリーさんに言った。
「サリーさん、もし外国に移住するなら、わたしとティも連れていってください。お願い!」
サリーさんのお兄さんは、その後、料理人になる考えを捨てたという。そのかわり、今の仕事をもっと発展させ、妹や弟の脱出のためのお金を作り、ご両親の面倒を見ることにしたそうだ。
(つづく)