第三章
なぜ農民は貧しいの?
マーナ誕生
新しい年を迎えて四日目の朝、東の空に虹が出ていた。久しぶりの虹で、不気味なほど鮮やかな七色で不吉な予感がした。わたしの国では虹は不吉なことが起きる印しだとされている。
その日の夕方、兄が訪ねてきた。やっぱりよくないニュースだった。妹がまた病気だという。そしてベッドの上でうわ言を言い、しきりにわたしの名前を呼ぶという。意識が戻ると「デウィに会いたい」と母にせがむという。わたしはすぐドーバ村に帰らなければならない。
奥様に許可を求めたら
「帰っていいわよ。それと、このハンドバッグをお母さんへ持っていって。プレゼントよ。あと、これでお土産を買って行きなさい」
と三千ルピアもくれた。
翌朝、わたしは「三〜四日後には戻ってきます」と言って家を出た。姉のティも帰りたかったらしい。でも黙ってわたしを行かせてくれた。
母へのお土産のハンドバッグは、奥様にお返しした。せっかく高価なハンドバッグを持って帰っても、家族やら親戚の人が来て、母のもとから持ち去ると思う。母はプレゼントを喜ぶだろう。だけど母は使えず、誰かに取られてしまう。そうしたら、奥様のせっかくの好意を無にすることになる。
わたしは一晩眠れず、いろいろ考えた。このバッグを売って、お金に換えて母にあげられないか・・・とも考えた。でも、結局、このバッグは奥様にお返しすることにした。
奥様は不思議そうな顔をして聞いた。
「でも、どうして他の人が持って行ってしまうの?」
「田舎の風習なんです。こういう素晴らしいハンドバッグはみんなのものになるんです。田舎では、個人の物は服ぐらいで、あとはみんな一緒に使うんです。でも、最後は、力のある人が持っていっちゃうんです」
奥様はなんとなく事情が飲み込めた様子だった。
昼にはドーバ村に着いた。妹は心配していたよりも元気そうだった。
「デウィ、来てくれたの。うれしい! 会いたかった・・・」
「わたしが来たんだから、もう大丈夫よ。早く元気になってね」
「うん。もう元気よ。治ったわ!」
妹は盲腸炎で、すぐ手術をしないと危険らしい。兄弟、親戚が集まっていた。みんなでお金を出し合い、医者を呼ぶことにした。この地方では、まず先にお金を払わないと、医者も来てくれない。わたしは帰りの旅費を残して、持っているお金を全部だした。
夜になったら医者が来てくれた。太ったお医者さんは、新しくて大きい車に乗って来た。医者は命に別状ないし、手術しなくても治りそうだという。みんなはホッとして、溜息をついた。手術をすることになったら、どうやってそのお金をつくろうか、と、みんな内心秘かに悩んでいたからだ。
三日ほどたった。薬が効いたのか、妹は大分元気になった。そこにティがひょっこり姿を現した。
「ねーデウィ、交代して。奥様に『わたしも帰りたい!』と泣いて頼んだの。すぐ帰ってくれる? 妹はもう大丈夫なんでしょ?」
ティの気持ちはよく分かった。ティも本当はすごく妹思いなのを知っていたからだ。ただ、ティは気が強くて、頑固なのだ。だから、みんなから頼られる反面、恐れられてもいる。
わたしには『やさしさ』しかないから、人には好かれるけど、あまり頼もしい存在にはなれないみたい。
翌朝早く、わたしはドーバ村を出た。妹の悲しむ顔を見たくなかったので、わざと会わなかった。別れを惜しむのは、わたしは好きでない。
「奥様に渡しておくれ・・・」
と言って、母がバナナとバリ・ジュルク(ザボン)を渡してくれた。ちょっと重たくて運ぶのが大変だったけど、ありがたかった。
三日後にはティもスラバヤに戻ってきた。妹はもう外を歩けるようになったという。この里帰りは、よいタイミングだったと思う。二月に入ると、いよいよ奥様は出産だ。わたしたちも忙しくなるだろう。
奥様が出産されたのは、三月のはじめであった。三千二百グラムの男の子だ。
奥様から電話があり、病院に荷物を届けに行った。十階建ての大きな病院で、奥様の部屋は冷房の効いた個室だった。奥様はまだ寝たきりだ。わたしはそこに半日居て、お客様にお茶やお菓子を出し、身の回りの世話をした。
ご主人様も一緒だった。ジーパンに白いティーシャツ姿のご主人様は、非常にご機嫌良くお客様の接待をしていた。
来客は多かった。サリーさん一家も、ティアナさんの家族もみんな来て、賑やかだった。お腹の大きな、日本人の若奥様もお見舞いに来た。この方も、もうすぐこの病院で出産する予定だという。
わたしの奥様は、なにやら一生懸命にこの方に話をしていた。あとで聞いてみたら、日本式出産法とインドネシア式の違いを話したのだという。
「デウィ、この国の産み方だと、赤ん坊が体から出てくるところ自分で見られるでしょ。両足を自分の手で抱えるから。でも、日本では違うの。その話をしたのよ。彼女ビックリしてたでしょ。わたしも驚いたし、やっぱり知らないと、とまどうと思って・・・」
奥様が出産したとき、ご主人様は分娩室の外で、一晩中歩き回っていたそうだ。
ご主人様の解説では、奥様は最初、インドネシア語で「痛い!痛い!」と言っていたそうだ。それがやがて英語で「ヘルプ・ミー・プリーズ!」になり、そして最後は日本語で「助けて! 死にそう! どうにかして!」と叫んでいたそうだ。
「ジロー、息子が生まれた感想は?」
とサリーさん。
「ウーン、さっぱり実感がわかないなー」
「でも、嬉しいでしょ」
「マアーね、でも、それより生まれて来た子と分娩室の外で初対面して、ビックリしたよ」
「なんで?」
「いやー、もっと猿に近い感じかと思ったら、とんでもない。もう立派に一人前のツラをしてたから・・・。それに赤子はすごく緊張しててね。回りで何が起こっているのか知ろうとしてたんだなー。赤ん坊というのは生まれた瞬間から一人前なんだね」
「でもまだ歩けないし、喋れないし、一人前とは言えないでしょう?」
「うん、ボクの一人前というのは、赤ん坊に確固たる意志の存在を感じたんだな。強烈な自己主張もあるようだし・・・。甘くは見れないと思ったよ」
「そうねー。お人形さんとはちょっと違うわね」
「それとヨシエの苦しむ様子を見てて、女性に対する尊敬の念が増したな。出産というのは大変な試練なんだね。あれじゃー女性は強くなって当たり前だし、男もウカウカしてられないね」
五日たって奥様は退院した。赤ん坊はカエルの様な顔をした可愛い子だった。名前はマーナという。
ご主人様は、毎日毎晩、大活躍のご様子だ。夜中のミルクの調合がご主人様の仕事らしく、三時間ごとに起きてはミルクを作っている。そして朝になると、いつも通り仕事に行く。日本の男性は育児に協力的でいいな、と思った。インドネシアの男たちなんて、赤ん坊を産ませっ放しで、あとは何にもしようとしない。
(つづく)