奥様のご両親は大酒飲みだ。一日にご主人様と三人で、なんと、ビールの大ビンを二十本も空けてしまった。その上同じ日に、ウイスキーも二本空にした。
みんなが、あまりにもおいしそうにビールを飲むので、わたしとティは、秘かにビールを舐めてみた。でも苦くてまずく、がっかりした。
一週間の滞在中、ビールは百本、ウイスキーも十本以上空にした。酒屋の方でも、毎日のようにケースごとビールを注文するので驚いて、「何人のパーティーですか?」と電話をかけてきた。
奥様の弟さんも一緒に来ていた。二十一歳だというけど、わたしより若く見える。メイド部屋に来ては、ギター片手にビートルズの歌を歌ってくれた。すごく上手だった。
ティもわたしも、言葉はまったく通じなかったけど、この三人のことをいっぺんで好きになってしまった。そしてこの三人のことを、何から何まで、近所のメイドたちに喋ってしまったので、この住宅街の家主たちも、みんな注目しているようだ。
ご両親はお互いに『ネネ』(おばあちゃん)『カケ』(おじいちゃん)と呼び合っている。
ネネ、カケと弟さんは、サリーさんティアナさんを連れてバリ島に遊びに行った。
サリーさんの話によると、プルタミナ・コテージという一流ホテルでも、ネネ、カケは大酒を飲み、レストランを占領し、歌い踊ったという。
サリーさんとティアナさんは、新しい経験をいろいろしたようだ。
「本当いうとね、ヨシエ、わたしもティアナも飛行機乗るの初めてだったわ。だから緊張しすぎで気分が悪くなって、空港で二度も吐いてしまって・・・。そして飛行機の座席に変なベルトがあるでしょ。あれの使い方が判らなくて、カケに留めてもらったのよ」
「あら、飛行機は初めてだったの?」
「うん。それからバリに着陸してからも大変よ。外に出ようと思って飛行機の降り口で後ろを振り向いたら、テイアナがいないの。どこに行ったのかと思って戻ったら、ティアナはベルトのはずし方が判らなくて、椅子から動けないでいるの。ティアナは必死で、大汗かいているし、わたしは見付かったら恥ずかしくて、冷や汗かいちゃったわ」
「だけど、ネネもカケも、何も言ってなかったけど・・・」
「気づかれないで済んだのよ。それからホテルに着いたらまた大変。お風呂の使い方も、トイレの使い方も判らないの」
「弟にでも聞いたの?」
「うーうん。恥ずかしいじゃん。だからホテルのカウンターに英語で問い合わせたの。インドネシア語使うと、『なんだこの田舎っぺ』と、馬鹿にされるでしょ・・・」
「それで無事、トイレも使えた訳ね?」
「うん。だけど西洋式って不潔ねー。紙を使うんでしょ? 紙を濡らして使うなんて、気持ちが悪かったー」
「え? 紙は乾いたまま使うのよ!」
「ええ? ほんとに? 信じられないわ!」
わたしも、乾いたままの紙を使うとは知らなかった。インドネシア式では、左手と水しか使わない。
サリーさん、ティアナさんでも西洋式ホテルに泊まるとこんな調子では、わたしやティではどうなるのだろう?
「それにヨシエ、エレベーターって恐くない?」
「どうして?」
「だって、途中で停まっちゃったらどうするの? 密室だから出られないじゃん。それに墜落したら怖いわ」
「まさかエレベーターに乗ったの、今回が初めてじゃないでしょうね?」
「初めてよ! だってスラバヤには、ホテルにしかエレベーターがないでしょ。ホテルなんて学生には用がないし、行った事ないもの。だからバリ島のホテルで昇り降りの実験をしてみたの。怖かったわ!」
わたしもエレベーターに乗った事はない。でもエスカレーターは見た事がある。テンジュガン通りのデパートにあったけど、怖くて乗らなかった。
カケ、ネネと弟さんは、上機嫌でバリ島から帰ってきた。三人からはお土産を貰った。黄色いティーシャツと、花模様のシャツだった。
ネネ、カケ、弟さんはサリーさんに連れられて、ベチャ二台に乗って、パサール・グンテンに出かけた。この市場は、スラバヤの中でも、もっとも近代的で清潔なところだ。だが、三人の感じた事は、まったく違っていたらしい。
カケは、ライ病患者の乞食にしつこく追いかけ廻され、太った体をゆすり、ギャー、ギャー、言って逃げ回ったそうだ。お金を渡したくても、一銭も持っていなかったのだ。お財布を持っていたネネは、パイナップルを値切るのに忙しくて、カケどころじゃなかった。
三人が帰って来て奥様に報告していたが、みんな悪臭と皮膚病持ちの乞食が多いのに、参ったようだ。
その夜、ご主人様はカケと一緒に夜の街に出て行った。なんでもカケが、スラバヤで一番人気のある飲み屋と、最高級のバーに行ってみたいと言ったらしい。
カケは、「売春街の飲み屋にも行ってみたけど、いやいや不潔でかなわんわ」と言ってご帰宅された。
二人はドーリーと呼ばれる売春街に行ったのだ。ここにはあちこちの農村から、若い娘が働きに来ている。貧しい農村の娘が簡単にまとまったお金を稼げるのは、こういう場所しかない。
でも、貧乏人は農村だけでなく、都会にも居る。農村ならば貧しくても何とか食べられる。だが都会では飢え死にする他ない。だからスラバヤでも、赤ん坊の産み捨てが多い。こういう赤ん坊は病気で保護され、養子の欲しい人に売られていく。買った人は少し育ててみて、気に入らなければ別の子と取り換える事もできる。
ネネとカケは日本から、大きな魚を三匹も持ってきていた。
庭の正面、客間から一番良く見える場所にポールを立てた。そこに三匹の魚はスルスルと登っていく。なんでも、一番下の小さな青い魚がマーナだそうだ。
青空でキラキラ光り、ピチピチと泳ぐ青い魚。マーナもこんな風に、元気に育つといいな・・・。
「ねー、ティ、これから毎月、マーナの生まれた6の日に、このお魚泳がせようよ!」
「そうね、マーナが元気に育つようにね」
カケ、ネネ、弟さんは、大満足した様子でスラバヤを発った。わたしとティは弟さんが大好きだ。最後の夜に「ねー、わたしたちも日本に連れてってー」と、おねだりした。でも、弟さんに言葉は通じない。なんとなく、くすぐったそうな顔をしてとまどっていた。
(つづく)