kitombo.com | デウィとの五〇〇日 | 2004年11月8日 
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デウィとの五〇〇日
「『デウィとの五〇〇日』(29)消えたジーンズ」

大地舜
11月8日

「デウィ、ジーンズのズボン、どこかしら?」
 と、奥様に聞かれたのは、土曜日の朝七時のことだった。ご主人様がゴルフにはいていくのに違いない。
 その時わたしは、楽しい気分で食堂のテーブルの上を拭いていた。だが突然、その青空の様な気分に、黒雲が張り出してきた。何か嫌な予感がしたのだ。
「ちょっと待って下さい。ティに聞いてみます」
 わたしは急いで食堂の隅にあるらせん階段を昇り、二階の物干し場に行った。姉のティは鼻歌まじりのご機嫌でマーナのオムツを干していた。
「ティ、ジーンズのズボンどこにあるか知らない?ご主人様がゴルフにはいて行きたいらしいのよ」
「そうねえ・・・二日前にアイロンをかけたわね・・・そして、奥様の部屋の鏡台の脇に置いたわ」
「それが、奥様の部屋に見当たらないんですって」
「エー! そんなはずないわよ」
 ティも一緒に食堂に戻り、奥様に報告した。
「おかしいわね・・・」
 奥様は部屋に戻りゴソゴソ探している。ご主人様はイライラと客間を歩き回っている。そして日本語で、奥様に何か言っている。怒っているみたいだ。
 わたしもティも、身の縮む思いだった。なにしろ、何か物が無くなると、まず第一番に疑われるのは、わたしたちメイドだからだ。
 ご主人様はブツブツ言いながら、車に乗ってゴルフに行ってしまった。
 さー、それからが大変だ。ティもわたしも必死になって、一階と二階の各部屋をくまなく探した。ベッドの下ものぞいたし、戸棚という戸棚は全部開けてみた。奥様も、もう三十分以上もクロゼットを調べている。
 でも、結局ジーンズは見つからなかった。
 わたしとティは探し疲れて、客間の大理石の床に座り込んでしまった。どう考えても不思議だった。ジーンズは何処へ消えてしまったのだろう。奥様は客間に突っ立ったまま考えこんでいる。
 そこに電話が来た。奥様が出て日本語で話している。
「いまゴルフ場のスワミ(主人)から電話があってね、今日から外部の人を家に入れるな、と言ってきたの。だから近所のメイドにも遠慮してもらう他、ないわね・・・」
「・・・・・・」
 裏のメイド、リーも呼べないなんて、どうしよう。みんな、この家に来るのを楽しみにしているのに・・・。わたしは悲しくなった。ティを見たら、大理石の床を拭きながら、涙をポトポト落としている。
 ご主人様も奥様も。わたしたちのことを疑うわけがない。でも、ティが本当に部屋に運んでいたなら、なくなるわけがないのだ。だいたい、ジーンズ一本だけ盗むなんて、メイドぐらいしかいない。
 木曜日と金曜日は、外部の人が家に入った。
 木曜日の朝には、大工さんが屋根の雨もりを直しに来た。
 金曜日の朝にも、汲み取り屋さんがバキュームカーで来ていた。
 それに、裏のリーやダイも二〜三回来ている。
 お昼近くになったら、ダイがやって来た。奥様やご主人様が嫌っているメイドで、わたしたちも好きじゃない。でも『くるな』なんて、とても言えない。
 ダイと世間話していたら、奥様が現れた。
「ダイ、悪いけど今日から当分、家の中までは入ってこないでね。外部の人には家に入ってもらいたくないの」
「なんで? 何故いけないの?」
「この二〜三日の間に、主人のジーンズがなくなったの。あなたを疑っているわけでは、もちろんないけど、でも外部の人が持ち出したと思うの。だから、当分、外部の人を内に入れるのを止めようと思うの。あなただって疑われるのは嫌でしょ?」
「ジーンズって、きのうの朝、このアイロン台の下にあったズボンのこと? わたし、『これだれの?』って、デウィに聞いたじゃない」
「そうよ、そのジーンズよ」
 と答えながら、わたしも思い出した。金曜日の朝ダイが来て、アイロン台の下をのぞき、物欲しそうに『これだれのもの?』と聞いたので、『ご主人様のよ!』とはっきり言ったのだ。
「でも、木曜日にティがわたしの部屋に運んだんでしょう。それがなんでアイロン台の下にあったのかしら。変ねー」
「わたしは間違いなく、木曜日にアイロンをかけて、奥様の部屋に置きました」
 ティはいったん『こう』と言い出すと、簡単には引き下がらないところがある。
「ねーティー。それ、もしかしたら、わたしのジーンズのスカートじゃなかった? いま思い出したけど、二〜三日前に、ジーンズのスカートが鏡台の脇に置いてあったわね・・・」
 ティはハッとして、考え込んでしまった。
 やがて・・・
「すみません、木曜日にアイロンかけたの、奥様のジーンズかもしれません。そう言えば、スカートだったような気がします」
「やっぱりそうね・・・。そうなると、誰かがこのアイロン台の下から持って行ったのね。今日、主人が帰ってから、またよく相談してみるわ。ともかく、ダイも家の中までは入ってこないでね。この近所の家でも、みんなそうしているでしょ」
 奥様はそう言うと、車で買物に出て行ってしまった。残されたダイは、すごく不満そうだったけど、シブシブ帰っていった。ダイはマドラ出身だし、あまり怒らすと黒魔術を使うかもしれないし、気をつけないといけない。

 奥様が買物から帰って来た時、裏のリーが血相変えて飛んできた。奥様に話があるという。奥様は電話中だった。リーは電話が終わるまで待って、どうしても奥様に会いたいという。
「奥様! なんでデウィやティに会いに来てはいけないのですか? いつもこの家に集まって、おしゃべりしたり、マーナに会うのを楽しみにしているのに・・・」
「それは・・・、本当はあなたには今まで通り遊びに来て欲しいのよ。でも、ジーンズがなくなってしまったでしょ。これは外の人のしわざだと思うの。それで外部の人の立ち入りを禁止した場合、あたなだけ例外・・・というわけにはいかないでしょ。とくにダイの手前もあるし・・・」
「じゃー奥様は、わたしが盗んだ可能性もあるって言うんですね!」
 リーは泣きだした。
 リーはマドラ島から働きに来ている太った、イカツイ顔をした、でもとても優しい心を持ったメイドだ。わたしの奥様だって、全面的に信頼している。年齢は三十四歳で、子供もマドラに一人居る。わたしとティにとっては、姉のような存在だ。
「そうじゃないのよリー。あなたの事は疑ってないし、遊びに来て欲しいけど、でもはっきり言うと、ダイには来て欲しくないの。ねー、だから当分、我慢して頂戴」
 奥様は困り果てた様子で、苦しげに説明をしていた。奥様がダイを嫌うのは当然だった。ダイが来ると、よく小さな品物が消えてしまうからだ。
「奥様! もう結構です。わたし、もう二度とこの家に足を踏み入れません! 盗んだなんて疑われるのは本当に心外です。二度と来ません!」
 リーはクルッと向きを変え、駆け足で外に出ていった。目に涙を浮かべて・・・。
 ティもわたしも、そして奥様も、何もいうべき言葉がなかった。
 しばらくの沈黙のあと、
「もう一度、考えてみましょう・・・」
 と奥様は言い始めた。
「金曜日の朝までこのアイロン台の下にあったとなると、そのあとに来た人は・・・汲み取りの男の人が四人と、ダイだけでしょう?」
「はい。ダイはすぐ帰ったし、汲み取りの四人組は、テイとわたしで、ずーと見張ってました」
「そうよねー。わたしも意識して見張っていたし・・・」
 奥様はまた考え込んだ。
「あの人たちだけになるチャンスは、まったく無かったかしら?」
「・・・・・・」
「あら、そういえば、汲み取りの終わる頃、日本人の若奥様が訪ねて来たわね。あのときティは庭の門を開けに行ったし」、わたしも客間に出迎えて、アイロン台の側を離れたわ。デウィはどうしてたのかしら?」
「わたしは・・・、お客様のため、台所に入ってお茶の用意をしたと思います」
「あら、それじゃー、ほんの一瞬だけど、そのとき三人とも、アイロン台の側にいなかったことになるわね」
「そういえば・・・」
「犯人は、どうやら汲み取り人夫の男たちのようね。ジーンズも男物だし・・・」

 犯人は汲み取り人夫の一人だったようだ。
 ジーンズはアイロン台の下のカゴに入っていて、しかもアイロン台には、布がかぶせてあった。その布を持ち上げてみないと、中に何があるのか判らない。だけどわたしを含めて貧しい人は、常に<何かないかな・・>と気を配っている。
 あの人たちもたぶん、わたしたちの見ていないときに布を持ち上げ、中を見たのだろう。そして、帰りがけに持って行ったのに違いない。
 ご主人様が帰ってきたら、何と言って叱られるだろう。あのジーンズは、ご主人様がシンガポールで買ってきたばかりの、お気に入りのものなのだ。
 これが中国系の家だったら「お前たちもグルになっているんだろう!」と疑われるし、少なくとも「お前たちが盗んだのと同じ様なものだよ!」と、こっぴどく叱られるだろう。そして、給料だって今月は半分にされるかもしれない。

 夕方になって、ご主人様は真っ赤に日焼けして帰って来た。わたしたちは会わないように、メイド部屋の中からのぞいていた。
 ご主人様と奥様は、ジーンズの一件を客間のソファーに座って話し合っている。冷たいお茶を恐る恐る持って行ってみたら、ご主人様はニコニコしており機嫌が良い。わたしはホッとした。
 やがて奥様がメイド部屋に来た。
「主人は『しようがない』と諦めているわ。犯人は汲み取り人のようだし、どうしようもないわね。でも、これから、こんな事のないように、もっと気をつけてね。外部の人の立ち入り禁止も、犯人がはっきりしたので解除するわ。リーにもそう言っといてね」
 それだけだった。当然叱られると思って覚悟していたのに、気が抜けしてしまった。どうして、こんなに寛大なのだろう? 信じがたいことだ。

(つづく)

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