今日も朝から快晴だ。もう雨季に入っているので、昨夜は大雨が降った。そのせいか、今朝はホコリがなく、青空は深く広くまぶしい。
今日はご主人様のお供をしてグレシック市までテニスをしに行くのだ。
ジャルミアスおじさんが運転し、マーナも奥様も一緒。気分がウキウキしてくる。でもティはかわいそうに留守番だ。それを思うと、あんまりはしゃげないのだけど・・・。
スラバヤの街並を通り過ぎると、急にあたりは広々とした塩田地帯となる。右手には青い海が広がり、黒々とマドラ島が横たわっている。
左手は見渡すかぎりの広大な塩田地帯で、地平線には、標高三千百メートルのアルジュナ山が聳えている。この山の麓には、トリテスという避暑地があり、ヨーロッパからの観光客で賑わっているそうだ。
今は季節はずれだが、九月頃には、この塩田地帯には、白いピラミッドが林立し、見渡すかぎり続く。
一本道のグレシック街道を三十分も走ると、やがて大きな河にぶつかる。ブンガワン・ソロ河の支流で、黄色い水をたたえ、ゆったりと流れている。
橋を渡ると、グレシック市だ。この街道ぞいの家並みは、石造りあり、竹を編んだ家ありといろいろだが、いずれも古びており、貧しい生活をしのばせる。
グレシック市は古くからの港町で、ジャワ島に回教が伝えられたのも、ここからだという。そのせいか、アラブ人も沢山住んでいる。この道は、わたしの故郷・ドーバーへの道でもある。
車は橋を渡ると右に折れた。この脇道は舗装されておらず、大穴が道のど真ん中にあり、ドロンコ道であった。それでもノロノロ運転を十五分も続けたら、目的地に着いた。大きな工場である。
入り口には守衛さんがおり、ご主人様は車を降り、話している。どうやら工場主は不在らしい。でも車は工場内に入り、やがて右折した。左手の崖下には、緑と赤に塗られた色鮮やかなテニスコートがあり、何人かプレーしている。右手の事務所の隣には室内テニスコートがあった。
そこでは女性ばかり、十二〜三人でテニスをしていた。その中に、奥様の顔見知りの人がいたので、わたしもホッとした。
「あら、ヨシエさんも来てくださるなんて・・・、主人から聞いてなかったわ。本当によく来てくれたわね。どうぞ中に入って・・・」
と、体の大きな夫人が、愛想よく迎えてくれた。
「これプディングなんですけど、皆さまで召し上がってください・・・」
「あら。気を使って下さらなくていいのに・・・」
ご夫人はケーキ箱を受け取ると、そばのメイドに家の中に持っていかせた。
奥様、マーナとわたしは、ご夫人方のテニスを見物した。小さな子供もテニスをしていた。
ご主人様は崖下のテニスコートに行った。
三十分ほどしたら、工場主とテニスコーチと、他二〜三名の、奥様のおなじみの人たちが現れた。ご主人様はこのテニスコーチに毎週、テニスを習っているのだ。
このメンバーには、これまで何度か夕食会に呼ばれていたようだ。かれらの夕食会に招かれた夜は、奥様もご主人様も、そろって『ヨッパライ』になって帰ってくる。
なんでも、中国系の人々というのは、『乾杯』と叫んでは、ビールでもブランディーでも一気に飲み干し、コップの底を見せあうそうだ。そして、
「人は酒に酔わず、友で酔う」
と、言っては『乾杯』を続け、友情を確かめあうらしい。
工場主たちが遅れて来たのは、昨夜、突然友人が亡くなり、そのお悔やみに、朝早く出向いたからだという。
工場主は上品な丸顔に、大きな目がパッチリ開き、太っているけどエネルギッシュだ。メイドのわたしや、ジャルミアスおじさんにも「スラマット・パギ(おはよう)」と、ていねいに挨拶してくれた。
テニスコーチは体格がよく、陽に焼けた顔は誠実そうだ。この人たちは、わたしの奥様と一時間も雑談し、それから崖下のテニスコートに降りて行った。
お昼少し前に、ご主人様が上がって来た。これから奥様も一緒に工場見学をするという。わたしとジャルミアスおじさんは台所に呼ばれ、昼食を出された。マーナは寝ている。
「この真ん丸なタマゴは、何のタマゴですか?」
と、台所で働くおばさんに聞いてみた。
「カメのタマゴだよ。食べてごらん。おいしいよ。こっちはツバメの巣、これはフカのヒレのスープ。みんな高級中国料理で、めったに食べられないよ。いいからちょっと味見してごらん」
「ほんとだ、おいしい! でも、中国人って、変なもの食べるんですねー」
台所の窓からは青い海が見え、白い大きな船が停泊していた。その先には黒々と、マドラス島が横たわっている。
「ブルン、ブルン、ブルン」
突然頭上で大きな音がした。窓を横切って、大きな鳥のようなヘリコプターが、海の方に向かっていく。どうやらそのヘリコプターは、工場の敷地内に着陸したようだ。
「ワー、すごい!工場にはヘリコプターもあるんですか?」
「そうだよ。ヘリコプターだけじゃなくて自家用のジェット機もあるよ。あすこに停泊している白い船だって、最近日本から買ったもので、一万五千トンもあるんだよ」
「すごいですねー!」
「あんたはここの工場主の話、聞いたことないのかね? スラバヤじゃー有名な人なんだよ。なにしろ一代でここまで大金持ちになったんでねー。工場主のお父さんはカリマンタン島で、ただのきこりだったそうだよ。今じゃ、カリマンタンには大工場があって、テニスコートはもちろん、十八ホールのゴルフコースもあるんだよ」
工場主やご主人様が工場見学から帰り、宴会が始まった。三十人ぐらいの人が長いテーブルを囲んで座っている。一人が立ち上がって司会を始めた。ご主人様と奥様は真っ先に紹介された。
わたしは、宴会が賑やかに進行していくのを見ながら、ボンヤリと考えていた。
ここにいる人々は、みんな良い人のようだ。そして金持ちだ。子供たちは清潔な身なりで行儀がよい。農村の子供たちが味わうような、生活の苦労は知らないだろう。
こういう人々を眺めていると、わたしの昔からの疑問が、再び蘇ってくる。
わたしたち農民は、なぜ、こんなに
貧しいのだろう? 日の出から日没まで
働き続けても、一日、二百五十ルピア
(八十円)しかもらえない。そして、
ほとんどの農民は借金で苦しんでいる。
一方、ここで宴会を楽しんでいる様な
都会の人々は、豊かな生活をしている。
わたしたち農民の作る食べ物なしには、
生きていけない、都会の人々ばかり、
なんでこんなに、お金持ちなのだろう?
わたしは、このことが不思議でならない。
ティアナさんによると、パンのもとである小麦粉を作る製粉会社は、わたしの国に一社しかないという。この広い国に一社しかないのは不思議だと思ったら、
「政府が他に会社を作ることを認めないのよ。だから、一社で市場を独占しているわけ・・・」とのことだ。
この製粉会社の社長は、グレシックで会った工場主の百倍以上お金持ちだそうだ。いったい、どのくらいお金持ちなのか、わたしには想像もつかない。
そして、そういう想像もできない大金持ちと、何一つ持っていないわたしたち農民。
どうしてこんなに差があるのだろう。
わたしは奥様に聞いてみた。
「日本はお金持ちの国だそうですけど、でも、やっぱりお金持ちは都会の人で、農民は貧しいんでしょう? 奥様」
「いいえ、日本の農民はお金持ちよ。農家の人ならだれでもテレビや車を持っているし、電話はあるし、外国旅行にだってよく行ってるのよ」
「どうして農民が、そんなにお金持ちなんですか?」
「それにはね、いろいろ理由があるのよ・・・」
奥様の話では、昔は日本でも農民は貧しかったそうだ。それがアメリカと戦争をした後に豊かになったという。そして、その理由としては、次の三点があげられるそうだ。
その第一は農地改革で、大地主が居なくなり、農民が自分の土地を持てるようになったこと。
第二には、都会に工場が沢山できて、農村の余った人たちが、都会に働きに出たこと。
第三には、政府が特別にお米を農民から高く買い上げていること、だそうだ。
サリーさんによると、わたしの国でも、第一の農地改革と、第三の政府による特別買い上げ処置はやっているそうだ。でも、両方とも巧くいってないという。農地を手放す農民は増える一方だし、特別買い上げ処置だって米商人を太らせているだけらしい。
わたしの国では、国民の八十パーセントが農民で貧しいけれども、日本では人口の十パーセントしか農民が居ないという。
結局、もっとたくさん工場ができて、農村で余っている人たちがそこで働くようになれば、農村の生活も楽になるらしい。
そういえばこの頃、スラバヤの郊外にも、大きな工場がどんどん出来ている。そして、メイドを辞めて工場の女工になる者も多くなった。収入はあまり変わらない。でも、一日八時間しか働かなくてよいそうだ。
「あと十年たったら、インドネシアにはメイドをする人が居なくなりますよ。産児制限は順調だし、石油もありますからね」
と、あるアイルランガ大学の教授が、奥様に予言したそうだ。
本当にそんなことが実現するのだろうか? そしたらわたしも、工場で働くのだろう。
そして、農民の生活も楽になるのだ
(つづく)