
今回の写真はフィリピンです。やはり三三年前の写真です。
フラッシュをたいているので、平板になっていますが、でもよいタイミングは捉えていると思います。
三五年前に文化交流を始めたとき、タイ、マレーシア、シンガポール、インドネシア、フィリピンの大学を回り、交流相手を探しました。
結局、話に乗ってきたのはタイのチュラロンコン大学経済学部の講師たちと、フィリピンの学生たちでした。

このダンスの写真は、国立フィリピン大学の民族ダンス部が披露してくれたときのものです。
フィリピンでは友人の音楽家・作曲家であるアティック・ハシントウ家を中心とする若者たちの交流から始め、やがて「ヤカッド」という若者の団体との交流に変わっていきました。
「ヤカッド」は軍部に関係した団体で、いろいろな大学の学生が集まって、山岳民族や少数民族の福祉に努めていました。

そこで日本から訪問した日本の学生たちも、山岳地帯に住む少数民族の村に服などを持って、慰問に行きました。
山岳民族というのは色黒・小柄で、髪の毛がナチョラルウエーブになっているのが特徴でした。フィリピンの原住民なのでしょうね。
「ヤカッド」との交流も四年から五年は続きましたが、「ヤカッド」のトップの男の人間性が信用できなくなり、私の独断と偏見で、縁を切ってしまいました。
まあ、いろいろあるものです・・・。

アティック・ハシントウ家の関係者とは、いまでも友達ですが、白黒写真は、友人の妹です。
アシック・ハシントウ家は音楽一家で、フィリピンでは有名で、「サーカスバンド」という名前のグループを引き連れて、東京音楽祭などにも参加しています。
この頃は、年に三回から四回タイ王国とフィリッピンを訪問していました。
あるときは、文化交流の一つとして、王立チュラロンコン大学テニス部、国立フィリピン大学テニス部との交流テニス対抗試合をして回ったこともあります。
日本の学生は、主として慶応大学のテニスサークルのトップ・プレーヤーたちでした。

その中の二名は、毎日テニス選手権の本戦にも出場していましたから、日本のトップ一二八名の中に入るレベルでしたが、タイとフィリピンの学生トップ・プレーヤーたちも、なかなかの強敵でした。
今年はフィリピンを久しぶりに訪問するつもりです。
この頃は楽しかったな・・・。
今も最高ですが・・・。