
今回は中東の産油国クゥエートです。
クゥエートに出稼ぎに行ったのは、二六年から二七年前です。出稼ぎは六カ月で終わらせて帰ってきましたが、興味深い経験をしました。
日本の会社がクゥエートに火力発電所を建設したのですが、その工事現場の事務長という仕事をしたのです。
日本から派遣されるのは設計や据え付けの技術者だけで、事務屋は私一人、下請けの韓国の建設会社の面倒を見たり、日本人の宿舎設営や工事現場の事務所作りなど、てんてこ舞いの忙しさでした。

そんなある休日に、宿舎の外に出たら、砂漠に大勢の人が集まっています。さっそくカメラをとり出して、撮影したのがこの写真です。
移動式のブランコやすべり台がたくさん並び、クゥエートの子どもたちが、着飾って、遊びに来ていました。
クゥエートの女性は年ごろになると黒いベールをかぶって、顔を見せません。でも子どもたちは素顔を見せてくれるので、最高のチャンスだと思い、バチバチとりました。
アラブの子どもたちは人懐っこく、写真を撮られるのが好きで、しめしめと思い・・・だいぶ撮影をしました。

クゥエートの居心地は悪くありませんでした。お酒は手に入るし、日本人宿舎のコックが密造ですがぶどう酒を造ってくれましたし、ヒルトンホテルに出かければ、テニス大会もありましたし、休みの日はいつでもテニスができましたから・・・。
夜はクゥエート大学でアラブ語を学びましたが、ロシアとかアメリカの大使館の職員が学びに来ていて、国際色も豊かでした。
クゥエートは出稼ぎ人の国で、クゥエート人はたいした仕事をしていません。タクシーの運転手だけはクゥエート人が多いようです。彼らは何もしなくとも、政府から一家族三〇〇〇ドルの手当てを貰っていましたから、働かなくてもよかったのです。したがって、私の下にいた経理担当や運転手などは、インド人かパレスチナ人でした。

クゥエートのエリートと知り合いになると、彼らが法律であり、なんでもスムーズにことが運びます。私もある有力者のクゥエート人に気に入られて、宿舎に電源を追加するとか、電話を引くなどの仕事も、彼に頼むとアッと言うまに片づきます。一方、この有力者を通さないと、パクシーシー(わいろ)は要求されますし、何ヶ月もほって置かれるのが普通です。

六カ月しか住んでいませんでしたが、あと半年住んだら、クゥエートの国王である首長とも友達になれていたと思います。その面では、早く帰ってきたのが、ちょっぴり残念です。
どこでも住めば都で、人々の人情も変わりません。私にとってクゥエートは、大変に住みやすいところでした。
インシュアラー・・・!