
西安には写真のような陸墓がたくさんあります。
欧米人から見るとまるでピラミッドのように見えるので、「中国のピラミッド」というタイトルの本すらでているのをご存知の方もいるでしょう。
中国の調査旅行もグラハム・ハンコック夫妻と一緒でした。
このような陸墓の周りには地下世界があるようです。

秦の始皇帝のお墓のそばにある兵馬俑は有名ですが、陸墓ひとつ一つの周りを、兵馬俑のような地下世界が取り囲んでいるのだそうです。
現在発掘中のそういう地下現場を見せてもらいましたが、深さ三〇メートルは掘っています。
そこには地下世界があり、鳥や動物の陶芸品が発掘され、馬や兵隊の像がでてきていました。残念ながら写真はありません。撮影禁止でした。
この発掘現場の規模の大きさは古代エジプトに匹敵するものでした。

エジプトで見学した地下墳墓の規模も壮大です。
とくに「聖牛」のために作られた地下墳墓の規模は大きく、広大な地下道が縦横に広がる墓場を全部見るのに数時間はかかります。
二枚目の写真は方位を示している石です。
確か二五〇〇年前のものだと石碑に書かれていたと記憶します。

この方位を元に陸墓の建設を進めたそうです。
さて次の写真は永秦公主墓ですが、何やらエジプトのテーベにある王家の谷の地下墳墓に似ています。
永秦公主は七〇一年に一七歳の若さで殺されたそうですが、今、ここの壁画で思い出すのは高松塚古墳の壁画です。
壁画といえば、高句麗古墳壁画展を見に行きました。

高句麗の古墳は大陸的で、巨大ですが、壁画も大ざっぱに感じました。
一方、日本の高松塚古墳の壁画は盆栽のように小型で繊細で優雅で、日本画の雰囲気がすでに感じられます。
国宝にしたのは間違いではないようです。
ところで高松塚に関する記事は九月一〇日発売の『文芸春秋』に掲載されていますが、その二倍の長さの記事を黄トンボ・ウイークリーに掲載する予定です。書き方も『文芸春秋』スタイルとは変えて、ミステリー調にする予定です。

高松塚古墳壁画と永秦公主墓壁画は時代も同じ頃ですし、絵の雰囲気もよく似ていますね。
兵隊さんの写真は兵馬俑のものですが、現代の中国の人々と変わらないように感じました。次の写真の男性が、この兵士の中にいてもごく自然だと思います。
最後の二枚の子どもたちの写真は多くを物語ると思います。服装から髪形、はな垂れ小僧などを見ていくと、情報が豊富ですよね。
次回は北京です。

(つづく)