
中国・北京の旅では、万里の長城、北京原人の発見された周口店、故宮博物院、古観象台、明十三陵などを訪れました。
でもそれほど面白い写真も無いので、庶民の姿を掲載することにします。
最初の写真のゲームは何なのかわかりません。
将棋にしてはコマが少ないし・・・。
極寒の三月の北京でしたが、ハンコック夫妻も私も寒さに対する準備不足で風邪を引き、帰国してすぐ沖縄の海底遺跡を巡るスキューバダイビングを強行したので、二人とも中耳炎になり両耳から膿が出る状態になりました。

それはともかく、北京の朝は温度が零下にまで下がるのでびっくりしました。
二枚目の写真はいかにも中国らしい極彩色ですね。このカゴに乗ってお寺の境内を練り歩いていました。
地面に大きな字を書くスポーツも中国ならではのものだと思います。
字は黒く見えますが、実はただの水で、三〇分も経つと消えてしまいます。
中国や日本の文化では、達筆を尊びます。

達筆であることは、その方の教養・人格と同一視されます。
したがって字の上手な方は尊敬されます。
私は字が下手なので、つまり教養も無く人格も卑しいことになるので、若いときから台湾や香港では、署名をいっさいしないように逃げ回っています。
このときの中国旅行では、幸いにも字を書かされることはありませんでした。
習字の大切さは、欧米人には理解できない方もいるようです。

二〇歳代に米国の出版社に勤めてロサンゼルスに住んでいた頃、米国人(白人系)の高校教師(女性)に「東洋人はなんで習字を重要視するの? あんなの学問でも無いし、芸術でも無いし、くだらないわ」と言われて唖然としたことがあります。
その時、私は特に反論しなかったのですが、一緒にいた米国の男性(白人系)にこっぴどく怒られました。
「おまえは習字の価値を知っているだろう。芸術だし、人格形成にも価値がある。なんで自己主張しないんだ。それなら、俺はおまえを見捨てる他ないな・・・」
この二人の言葉は今でも忘れられません。

顔も表情もしぐさもすべて覚えています。
当時、米国生活に慣れていなかった私は、自己主張もせず、内心でこの米国女性を軽蔑しただけでした。
でも、それでは米国では生きていけないのです。
自己主張しないと、誰も理解してくれない社会なのです。
米国は異文化のるつぼですから、お互いを理解するには自己主張が必要なのです。

たぶん、異民族がともに暮らす中国でも、自己主張は大事なのではないかと想像します。
話が中国から飛んでしまいましたが、たくさんの中国人が水で地面に字を書いていましたが、ユニークな字を書く方や達筆な方々でした。
中国は、まだこれから裕福になる国のようです。
貧富の差もかなりあるようですし、人材は豊富だし、広大な土地を持ち、民族模様も多様です。
日本とはいろいろな面で、対照的ですね。

隣国・大国・中国とのつき合いといっても、あまりにも対象が巨大で、手探りしか出来ない気がします。
箱庭の国・盆栽の国・日本とは、まさに対極にある国だと思います。
これから中国がどうなっていくのか・・・隣人として、興味津々ですよね。
(つづく)