
1枚目の写真の、壁に描かれたこの絵はユニークですよね。いったいどうしたら、このような絵の発想が生まれるのでしょう?
2枚目の壺にかかれている絵も、頭はワシで、体は人間ですね。
3枚目の写真は、何やら縄文時代の土偶の雰囲気があります。特にこの目はどこかで見た気がします。
これらはすべてプレインカ文明か、インカ帝国の時代のものです。
プレインカと言うと紀元前200年から存在していたと言われます。インカ帝国は15世紀に生まれていますから、その前に、長い歴史が有ったわけです。

さて、グラハム・ハンコックさんの新刊書『スーパーナチョラル』を読んだのですが、そこにはインカ、プレインカの3枚の絵柄がどのようにして生まれたかを解明する鍵が書かれています。
マヤ文明の絵柄もこれらと良く似ていますが、これらが生まれる背後にはシャーマンの力があるようです。
シャーマンは古代世界の至る所にいて、大辞林には「神霊・精霊・死霊などと直接的に交わる能力をもって治療・予言・悪魔払い・口寄せなどをする人。日本では「みこ」「いちこ」「いたこ」「ゆた」などがその例。巫覡(フゲキ)。」と書かれています。
北米のインディアンたちのシャーマンは祈とう師であり、治療師であり、未来を見通せたようです。

縄文部落にもシャーマンがいたようです。縄文の遺跡では、大麻の痕跡がたくさん見つかっていますが、縄文部落の「みこ」や「いたこ」は、大麻を利用して、神霊・精霊・死霊などと直接的に交わっていたのではないでしょうか。
縄文部落ではテングダケも使われていたかもしれません。テングダケを食べると、幻覚が起こり、鼻が赤くて長い天狗さんに会えるのだそうです。これは英国の有名な植物学者の調査結果です。
日本の文献で、天狗とテングダケの関係を追求したものがないか調べたのですが、残念ながら見つかりませんでした。
さて、大分脱線しましたが、マヤもインカもシャーマンが支配する世界であり、シャーマンが知識人であり、彼らが見た世界がこれらの図柄に表現されているのではないでしょうか。
4枚目の写真はただのお花畑です。私は何か美しい風景をみると、無意識のうちに写真を撮っています。これもそんななかの一つです。ぺルーの首都リマには数日滞在して、博物館巡りをしましたが、この花は黄金博物館の庭に咲いていたような気がします。

写真5、6,7、8はリマから南30キロの海岸沿いに残るパチャカマク遺跡です。プレインカの時代から宗教都市として栄えていたそうで、宮殿、太陽の神殿、月の神殿などの廃虚が残っています。
5枚目の写真は月の神殿ですが、皇帝に仕える太陽の処女たちが生活していたところで、中庭には沐浴場と思われる池があります(6枚目)。皇帝が来ると、処女たちは部屋の外に出て、黒く見えるくぼみの場所に立ったそうです。くぼみの数から見ると相当な人数のようですね。
パチャカマク遺跡の石壁も実に見事な出来です。ここは3回にわたって発掘されたそうですが、一番深いところに存在する石壁が一番、見事なのです。私たちはインカの石壁と呼んでいますが、プレインカの石壁と呼ぶべきなのかもしれません。
そうなるとインカ帝国の首都クスコに存在する有名な石壁もプレインカ時代のものである可能性もあるのではないでしょうか。


(つづく)