kitombo.com | 大地舜のフォトギャラリー | 2005年12月12日 
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大地舜のフォトギャラリー
「大地舜のフォトギャラリー(49)ボリビア(2)」

大地舜
12月12日

半地下神殿・太陽の門
 半地下神殿の中央には立像がありますが、コンティキの神だそうです。私はこの像を見て北欧のサンタクロースを想像してしまうのですが、ヒゲのせいでしょうか。
 コンティキというと北欧はノルウェーの人類学者ヘイエルダールを思い出します。
 ヘイエルダールは、南米大陸からポリネシアに人々が移住した可能性が高いことに気がつきました。ポリネシアにも巨石文化がありますし、南米文化の匂いがするからです。その意見を証明するためヘイエルダールは5名の仲間とともにバルサ材でできた筏『コンティキ号』でペルーからトゥアモトゥ諸島のラロイア環礁まで 8300km、 102 日間の漂流に挑戦し、成功しています。これは1947年のことでした。
 ヘイエルダールの主張は正しかったのですが、同時にアジア方向からポリネシアに人々が移住したことも確実だと見られています。
 さて、180個の人頭像が壁に埋め込まれていますが、何なのでしょうね? 主神ビラコチャが創った人間の顔だとか、世界会議がここで開かれた証拠であるとか言われていますが、真相は不明です。
 南米の文明が本格的に調査され始めたのは19世紀の終わりですし、まだ100年ほどの歴史しかありません。広大な大陸ですし、わかっていることはわずかだと考えたほうが良いのではないでしょうか。
 拡大した顔の写真を見ても、人種などは想像も出来ませんね。
 半地下神殿からはカラササヤ広場の入り口が見えます(写真6)。この入り口に使われている巨石は、重さが600トンもあり、どうやってここまで運んできたのか、謎でした。
 ところが最近の研究で、近くまで運河が作られており、それを利用したのだと考えられています。巨石はチチカカ湖の対岸から葦舟に乗せられ、運河を通ってここまで運ばれたことになっていますが、なかなか信じがたいことです。
 なぜならチチカカ湖からカラササヤ広場までは登りの坂道だからです。もし運河を利用したのだとしたら、かれらの運河を作る技術はかなり高度なものだったことになります。
 これらの建造物はティアワナコ文化の産物だと言われています。ティアワナコ文化とは、ボリビアの標高 4000mを超えるチチカカ湖のそばの荒涼とした草原に生まれた文化です。ティアワナコ文化は大宗教建造物群からなるといわれ、その壮麗さと,巧みな石造技術はとくに有名です。
 英国の作家グラハム・ハンコックも『神々の指紋』の中で、ティアワナコ文化は通説よりもはるかに古いのではないかと言う学者たちの説を取り上げています。通説では古くてもせいぜい2500年前ですが、学者によっては1万2000年前だとか1万7000年前だと主張しているのです。
 「太陽の門」はカラササヤ広場の隅に置かれていますが、スペイン人たちによって、オリジナルの場所からは移動されているそうです。今は割れていますが、もともとは一枚岩でした。

 太陽の門の上部をクローズアップしたのが8枚目の写真です、この中央の神がビラコチャ神ですが、なにやら可愛らしいですね。
 1996年に世界中で大ベストセラーになった『神々の指紋』は、またもや注目を集めているようです。日本では2005年の大晦日に、2時間の特別番組が放映されますので、ご注目ください。テレビ朝日です。
 米国でもいろいろプロジェクトが計画されているようです。
 さて最後の写真は『太陽の門』の裏側です。石を加工して、軽くする工夫をしているようです。この写真だけは、いくら南米のガイドブックを探してもないと思います。見ることができるのは黄トンボウイークリーだけ! と言ったら、ちょっと大げさですが・・・。


(つづく)

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