
カラササヤ広場は何に使われたのかが不明ですが、太陽観測の場だったと多くの学者が考えています。
写真を見ると外壁の内側にも壁があります。この内側の壁を使って太陽の動きを観察すると、最初に太陽観察が行われたのは2500年前ほどだという結果になります。これはちょうどティワナコ文化が始まったころですし、考古学的調査と適合します。

ところが外側の壁を太陽計測の基準とすると、太陽計測が始められたのは1万2000年前となってしまいます。その頃の太陽が昇る位置に、祭壇も隅の巨石も合わされているのです。
これが何を意味するかについては諸説があります。
ある学者グループは、ティワナコ文化の始まりは1万2000年前だと考えますし、別の人々は、この遺跡が1万2000年をシンボル的に示しているだけだと考えます。
どちらにしても1万2000年には何か意味があるようです。
ところでカラササヤ広場は広大です。太陽観測にはこのくらいの規模が必要なのでしょうか? そういえばエジプトのカルナック神殿の参道も、太陽の昇る道に合わされていますが、大きな規模です。
この広さから見て、ここでは太陽観測以外のことも行われたのではないでしょうか? 何らかの宗教的な儀式が行われたように思います。あるいは太陽王の就任式もここで行われたのではないでしょうか?
太陽の門は奥のほうに小さく見えていますが、スペイン人たちによって最初にあった場所から移動されています。
2枚目の写真は外壁ですが、高くなっている石のところで、太陽の登る位置を計測していたそうです。もっともスペイン人がこの遺跡を見つけたとき、壁はすでに崩壊しており、小さな石はボリビアのラパスに運ばれ、建物建設に使われていたそうです。つまり壁の相当な部分には修復が施されている訳です。しかし、「巨石の位置は変わっていない」と国立考古学研究所の所長が言っていました。
この広場には多くの立像があったそうですが、今は数基しか残されていません。よく見ると、奇妙な道具を手に持っています。
五番目の写真は立像の後ろ姿ですが、ウイークリー黄トンボでしか見れないでしょうね。見てもたいした特徴は見当たりませんが・・・。
六枚目の写真がプーマプンコです。ここは宮殿跡だと言われていますが、そうなのかもしれません。
この辺りの巨石の下側を掘って炭素14年代法で調べたら、やはり2000年前頃の炭化物だったそうです。しかしこの調査の精度がどの程度のものか、疑問は残ります。
写真6の巨石を動かしたわけではないでしょう。動かせる石の下の有機物を調べたのだとしたら、その石が大津波などの天変地異で運ばれてきた可能性も残ります。
『神々の指紋』でグラハム・ハンコックさんが一番攻撃されたのは、少なくても英国においては、ティワナコ文化の炭素14法による年代測定に関しての議論を省いたことでした。
主流派の学者たちは英国のTV番組で、この点を厳しく追求しています。TV番組は写真と同じで、あばたを隠せますし、製作者が好きなように編集することで視聴者を洗脳することも可能です。
英国のハンコックさんを批判した特別番組では、一方的に偏向した編集をしてハンコックさんの意見を封じ込めるという汚い手を使いました。ハンコックさんはBBCを相手取って裁判に持ち込んで勝ちましたが、すでに放映された後では、後の祭りです。
BBCが一方的で不正な偏向報道を謝罪したのですが、すでに手遅れで、その前にダメージを受けてしまっていたわけです。
今年の12月31日のゴールデンアワーでは、2時間半の『TVタックル』という番組がテレビ朝日で放映されます。荒俣宏・吉村作治・大月教授などのメンバーによる討論会ですが、ハンコックさんも主役の一人です。
この番組では6時間にわたって録画したそうですが、どのように編集されるかで、視聴者の印象も大きく変わってきます。
今年からハンコックさんの運も上向いて来ているようですので、楽しい番組に編集されると、私は楽観しています。
話がそれましたが、プーマプンコの石は大きいですね。こんな石を運んでくるだけでも大変ですよね。前回も述べたように運河を使って運ばれたそうですが、大事業だったと思います。
8番目の石の加工などは益田の岩船を思わせますよね。何に使ったのか今一つわかりません。壁だったのか土台だったのかもわかりません。
9番目の写真は小さな穴を示しています。これらの石には黄金版が装飾として貼り付けられていたのだと考えられています。
最後の写真は、ペルーでも見かけましたが、巨石と巨石をつなぐ切れ目で、ここに鉄よりも硬い銅合金が入れられていたのです。
(つづく)