kitombo.com | げんさんの住処 | 2005年2月21日 
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げんさんの住処
「げんさんの住処2」

網中裕之
2月21日

 「ハクツル荘」は、築三十年を越えようかというオンボロアパートだ。一階と二階にそれぞれ四部屋ずつある。ゲンさんの部屋は一階の一番端だ。三年前に妻の花江が他界してから、このアパートに越してきた。六畳一間に四畳ほどの台所。トイレは付いているが風呂はない。貯蓄を切り崩せばもう少しマシなところにも住めるが、本人はこれで充分だと思っている。
 ガタがきているドアを開けると、玄関のたたきに封筒が一通落ちていた。差出人を見ると、浜崎卓也と書かれてある。ゲンさんの一人息子からだ。
 「ふん! また、あいつからか。なんべん手紙寄越したって、ワシはおことわりや」
 ゲンさんは、息子からの手紙をポイッとゴミ箱に放り投げた。
 息子の卓也は地元の大学を卒業した後、大手のスーパーに就職した。今は家族三人で横浜に住んでいる。独り暮らしの父を気づかって、横浜で一緒に暮らそうと言ってきている。昨日も電話で激しい言い合いをしたばかりだった。
 「だから、おやじ、もう歳やねんから、こっちへきたらええやんか」
 「だれが、横浜なんぞに行くかい。ワシは大阪で死ぬんや」
 「そんなこと言うてる場合ちゃうやろ。俺も支店長になったさかい、おやじ一人くらい養っていける。何も遠慮することないねんで」
 「ほっといてくれ! おかあの墓もこっちにある。横浜なんぞに行ったら、誰が墓の世話すんねん。ワシはここを離れへんで」
 ゲンさんの取りつく縞のない返事に、仕方なしに手紙を書いてきたのだろう。
 ゲンさんとて、不安がないわけではない。最近は電車を乗り継いで競馬場に行くのさえ、少し億劫になりつつある。息子と一緒に暮らせば何の心配もいらないだろう。孫の公平の成長も楽しみだ。でもゲンさんはこの街を離れる気はない。それは、ここが終の住処だと自分で決めたからだ。
 この街で生まれて、この街で育って、この街で女房と出会って共に働いてきた。息子を大学にまでやれたのもこの街のおかげだと信じている。だからゲンさんは、最期までこの街に包まれていたいと思っている。
 「それにしても暑いのう。地球温暖化がこのアパートにだけ押し寄せとるんちゃうか」
 ゲンさんはパンツ一枚になると、台所で顔を洗い、水を絞ったタオルで全身を拭った。節約のために風呂屋に行くのは、夏は二日に一度、冬は三日に一度と決めている。
 窓を開け放し、ちゃぶ台を部屋の真ん中に置いた。冷蔵庫から缶ビールを一本取り出し、買ってきた惣菜と昨日余った冷やごはんを並べた。
 部屋の隅にある小さな仏壇。ビールをもったまま線香に火をつけた。
 「なあ、おかあ。ワシはずっとここにおるさかい、心配せんでもええで。おかあと同じようにこの街で死なんと、あの世でおかあに会われへんかもしれへんしなあ」
 普段は口の悪いゲンさんも、仏壇の前ではしょんぼりとしてしまう。工場が潰れたときも、財産を無くしたときも、夫婦二人で乗り越えてきた。ゲンさんが落ち込んでいるときにも、「おとうやん、命までは取られまへんて。そない心配せんでも、何とでもなりますって」と妻が励ましてくれた。その一言に幾度となく救われてきたのだ。
 「苦労かけっぱなしやったのう。あの世でまた一緒になったときは、思いっきり贅沢させたるからなあ。牛カツを腹一杯食わしたるさかいに、待っとれよ」
 ゆっくりと夕飯を食べ、ゲンさんは床についた。開け放した窓から、やっと涼しい風が入ってきた。

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