kitombo.com | げんさんの住処 | 2005年4月4日 
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げんさんの住処
「げんさんの住処8」

網中裕之
4月4日

 明子が正太を学校まで迎えに行き、そのまま惣菜屋まで連れて帰ってきた。早い時間に風呂屋に行かせると、その後は二階の部屋でじっとしてるように言い聞かせた。へたに街をうろついていると、ばったり男に出くわせないともかぎらない。
 夕飯を済ませると、明子はアパートの部屋にいることにした。気のいいクリーニング屋の夫婦は、二つ返事で小学四年になる息子を貸してくれた。
 「こんな子で役に立つんやったら、なんぼでも使うてやって。何なら一週間ほど預かってくれたら助かるわ」
 息子は少々ふくれっ面をしていたが、ケーキを買ってやるといわれてホイホイとアパートまでついてきた。二三日は明子とアパートに泊まることになっている。
 その日の夜八時過ぎ、案の定男がやってきた。隣の部屋をノックする音が聞こえた。「誰が住んでいるのか知らない」と言った手前、ゲンさんが顔を出すわけにはいかない。ゲンさんは注意深く隣の様子を伺っていた。万一のときは出て行くつもりだった。
 やがて明子がドアを開ける音が聞こえた。
 「夜分、すみません。ここは中谷さんのお宅と違いますか」
 男の声が聞こえた。
 「はあ? ちゃいますけど」
 「おかしいなあ、不動産屋に聞いたんやけどなあ」
 男が疑い深そうな声を出した。
 「うちは中村や。中谷とちゃうで」
 「あのう、お子さんと二人暮らしですよね」
 「そうや。それがどないしてん」
 「いやあ。ここにはいつからお住まいですか」
 「なんや、あんたは。いつから住んでようが、あんたに関係あらへんやろ。あんた、警察の人か」
 明子の剣幕に男がタジタジになっているのが分かる。
 「いやあ、ちょっと知り合いを探してるもんで」
 「とにかくウチらは半年前からここにおるんや。あの頭のボケた不動産屋が何と言おうと、そんなことは知るかい」
 「あの不動産屋さん、頭がボケとるんですか」
 「そや。有名や。このアパートの管理かていい加減なもんや。家賃さえきちんと払えば、やくざが住もうが、不法滞在者がいようが、あのジジイには関係ないんや」
 「そうなんですか」
 「あんたの探してる人かて、いつまでおったか分からん。ウチかて偽名で入居しとるんや。名前なんて適当なもんやで」
 「でも、確かに」
 男が言いかけた時に、明子が大声で怒鳴った。
 「うるさいなあ。あまりしつこかったら人を呼ぶで。隣に住んどる人は元やくざや。ただでは帰られへんで」
 明子がドアをバタンと閉める音がアパート中に響いた。
 ゲンさんは台所の窓の隙間から、そっと外の様子を伺った。男はしばらく佇んでいたが、それから二階へと上がっていった。どうやら二階の様子も見にいくらしい。二階の四部屋はすべて男のやもめ暮らしだ。外から見ただけでも一目瞭然で分かる。
 三十分ほどまたウロウロすると、男は退散していった。それから間もなくして、明子がゲンさんの部屋にやってきた。
 「あんなんで、よかったんか」
 「上出来や。あれ以上の芝居はないで」
 「そやけどあいつ、気味が悪いわ。部屋の中をチラチラ覗いとったわ」
 「やっぱり、どっかで疑っとるんやろ」
 「そやけど、クリーニング屋のぼうずの顔見た時は、ハッとしとったで」
 「まあ、正太と間違えることはないやろ。それに子供にまで芝居させるとは思うとらんやろ。まあ、第一関門クリアということや」
 「あの男、きっともう一回、不動産屋へ行きよるで。何となく私はそう思うわ」
 なるほどとゲンさんは思った。半年前まで誰が住んでいたのか。それを確認しに行くかもしれない。
 「わかった。明日の朝一番で不動産屋へ行ってくるわ。あのジジイにボケたふりやらさんとあかんな」
 結局その夜は明子とふたり、夜更けまで酒盛りになってしまった。

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