二月の声を聞いたばかりの寒い朝。オババが死んだ。
まだ夜が明けきらぬ早朝、アパートのドアが荒々しく叩かれた。ゲンさんは何か嫌な予感を覚えた。ドアを開けると、目を真っ赤にした明子が立っていた。
「どないしたんや」
「ばあちゃんが、今さっき死んでもうた」
「なんやと」
「朝起きたら、もう冷とうなっていたんや」
「分かった。すぐにエリと正太を起こしてくれ。ワシもすぐに行くさかい」
ゲンさんは急いで洋服を着替え、廊下に飛び出した。喪服などを出している暇はない。とにかく今は、早くオババの元へ駆けつけたかった。
隣の部屋から正太が飛び出してきた。
「おっちゃん」
すでに半ベソをかきながら、正太が走り寄ってきた。
「おかあちゃんは今、着替えとる。先に行っててくれと言うとる」
「よっしゃ」
ゲンさんの怪我はまだ治りきっていない。松葉杖で身体を支えながら、必死になって走った。正太が腰のあたりを支えるようにしてくれた。二人は何も言わずにひたすら早朝の商店街を走った。
「オババ。待っとれよ」
惣菜屋の裏口から家の中に入った。オババの部屋は一階の奥にある。襖を開けると、部屋の真ん中でオババが静かに横たわっていた。明子夫婦が枕元に座っている。ゲンさんはオババの横に正座をした。
「オババ」
ゲンさんは静かに話しかけた。
「あまりにも急過ぎるやないか。何で一言ワシに言うてくれへんかってん。これまでの礼も言うてへんのに、何で急いで死んでしもたんや」
ゲンさんはそこまで言うと、後は声にならなかった。
「オババ。ありがとうね」
代わりに正太が礼を言った。正太はオババの顔をさすりながら、何度も何度も礼を言った。正太が顔をさすり続けていると、オババの表情が嬉しそうになったように見えた。気がつくと、エリも部屋の片隅で泣いていた。
葬儀にはたくさんの人が駆けつけた。商店街の人間のみならず、かつてこの街に住んでいた者まで訃報を聞いてやってきた。オババは多くの人の心の支えだった。
焼き場で最後の別れをするとき、正太は柩にすがりついて離れようとしなかった。わき目もふらずに泣きじゃくった。そんな正太を見るのは初めてだった。ゲンさんは正太を抱きかかえるようにして、やっと柩から離れさせた。
参列者のみんなが、まるで子供のように泣いていた。
「正太。人間はいつかは死ぬんや。オババはよう長生きした。でもな、いくら歳とって死んだかて、やっぱり死んだらかわいそうや。大往生で良かった言う人もおるけど、ワシはそうは思わん。死ぬときはみんなかわいそうで仕方ない」
ゲンさんは妻の死を思い出しながら言った。正太はゲンさんの手をしっかりと握りしめ、小さく頷いた。
賑やかで、そして悲しい葬儀が終わった。大勢の参列者たちも、それぞれの住処へと帰っていった。オババの寝ていた部屋に、五人がポツンと取り残された。誰も口を開くことなく、遺影をボーッと眺めていた。
沈黙を破るように明子が言った。
「あのなあエリさん。さっき、うちの人とも話をしてたんやけど、あんたら二人でこの部屋に越してきてくれへんか。そのほうが正太も安心やろ」
「そんなあ。そこまで甘えるわけにはいきません」
「もちろん、ずっとというわけではあらへん。正太が大きくなるまで、ここで一緒に暮らしたらどないや。うちらも賑やかでええんや」
戸惑っているエリに向かってゲンさんも賛成した。
「せっかくそう言うてくれてんのやから、甘えたらどないや。たぶんオババもそうせいと言うやろ」
「ありがとうございます。そしたら、この子が中学に上がるまでは甘えさせてもらいます。その間に私もお金を貯めておくようにします」
エリは正座をして、深々と頭を下げた。明子もホッとしたように、やっと笑顔を見せた。
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