街は年々変わりつつあるが、それでも昔ながらの店や道も残っている。ゲンさんは思い出を噛みしめるように歩いていた。
寺の前の花屋で、供えの花と線香を買った。墓を洗う水は正太が運んでくれた。春を感じさせる日差しがポカポカとしていた。線香に火をつけ、墓の前で手を合わせた。正太も同じように手を合わせてくれた。
「ばあさんや、ワシはこの街を離れるで。もう、戻ってこれへんかもしれん。ばあさんが生きておったら、もう少しがんばれたんやけど、一人ではもう限界や。しばらく会われへんけど、あの世で待っといてくれ」
ゲンさんは墓の前に、三十分ほども座っていた。その間中、正太がずっと背中をさすり続けてくれていた。
「さて、行くとするか。ついてきてくれたお礼になんぞ御馳走するで」
「お礼なんていらん。ぼくがおっちゃんと一緒にいたかっただけや」
正太の言葉に、ゲンさんは涙が出そうになった。この子とも、もう会えなくなる。そんな寂しさが急にわき出てきた。そんなゲンさんの気持ちを察したのか、正太が明るい声で言った。
「ぼくが中学生になったら、横浜に遊びに行ってもええか。おっちゃんの部屋に泊めてくれるか」
「おお、当たり前や。絶対に来てくれよ。約束やで」
「うん、約束や。ぼく、それまでに小遣いを貯めとくから。中学生なんてもうすぐや」
「そやな。またきっと会えるな」
正太のおかげで、ゲンさんは少し元気がでた。
寺からの帰りは、電車に一駅乗った。駅前に着くと、ゲンさんは正太を連れて串カツ屋の暖簾をくぐった。
「おう、ゲンさん。いよいよ明日か」
店のおやじが声をかけてきた。
「そうや。いろいろ世話になったなあ」
「寂しくなるなあ。達者で暮らせよ」
「何言うとんねん。別にアフリカへ行くわけでもあるまいし、横浜なんて近いもんや。ちょくちょく帰ってくるつもりや」
「まあ、それもそうやな。とにかく今日は俺の奢りや。牛カツを腹一杯食うてくれ」
「ほんまか。あとで後悔するで」
ゲンさんと正太は、あつあつの串カツをたくさん食べた。この味を忘れないようにと、ゲンさんはじっくり噛みしめながら食べた。
「うまかったなあ」
「うん。ぼく、はじめて食べたんや。前からいっぺん食べてみたいと思うとったんや」
「そりゃあ、良かったのお」
惣菜屋の前で正太と別れることにした。
「中に入らへんの」
「ああ、今日は疲れたから、もう寝るわ」
正太が皆を呼びに行こうとするのを、ゲンさんは止めた。また、湿っぽい気持ちになるのが分かっていた。
「明日は何時に引っ越すの」
「十時に引っ越し屋が来ることになってる。その時分に手伝いにきてくれたらええ」
「ぼくは、朝早く行ってもええか。朝御飯を一緒に食べようよ」
「そやな。ほんなら、七時くらいに来たらええわ」
「わかった。必ず行くから、待っといてや」
ゲンさんは、すっかり荷物が片づいた部屋に戻った。串カツ屋で日本酒を飲んだせいか、少し頭がボーッとしてきた。
「何や知らんけど、疲れたなあ」
布団を敷いて、もう寝ようと思った。横浜までの切符を財布の中に入れ、ボストンバッグにしまった。妻の位牌に手を合わせ、布団にもぐり込んだ。やがて、経験したことのないような睡魔が襲ってきた。
不思議な夢を見た。
ふと目を覚まして横を見ると、枕元に妻とオババが座っていた。二人とも、とても穏やかな顔をしてゲンさんをみつめている。
「何や二人とも、どこへ行っとったんや。探しとったんやで」
ゲンさんは二人に向かって話しかけた。妻がやさしくゲンさんの手を握った。オババがゲンさんの顔をなでてくれた。まるで小さいころに、母親に抱かれたような安心感に包まれた。
「ええ気持ちや。幸せや」
ゲンさんは心から呟いた。身体がふわふわと軽くなっていくようだった。
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