今週の疑問
「日本人(41)暗黒日記を読んで(1)」
大地舜
1月13日
『暗黒日記』3巻を読まれただろうか? 日本の自称インテリでもほんとのインテリでも必読の書だ。清沢洌(きよさわ・きよし)という外交評論家の日記だが、昭和18年1月1日から昭和20年5月に亡くなるまで書かれている。
清沢は若いときに渡米して苦学しており、欧米人の気質も国力も熟知しており、したがって太平洋戦争の開戦には大反対をした。しかし、力及ばず、真珠湾攻撃が行われた。
清沢は自由主義、民主主義を信奉していたが、同時に熱烈な愛国者だった。そこで、日本という国と命運を共にした。
戦中の日本は自由に意見が言えない専制国家だった。そこで清沢は講演の時は、外国事情を語るだけで、『非国民』扱いされないように言葉を慎んだ。だが、本音は、日本が無謀な戦争を始めてしまったことを悔やみ、早く戦争を終結したかった。
その本音を書きつづったのがこの『暗黒日記』だ。清沢は最初から日本が敗戦すると見通していた。そして彼の悲観的な予測は全て当たった。だが、当時の日本では、清沢は極端に異端だった。なぜなら、ほとんどの日本人が勝利を信じており、楽観的だったからだ。
『暗黒日記』は人に読ませるために書かれたものではないので、実名が語られ、生々しい。清沢による当時の人々の人物批評もなかなか面白い。
それにしても戦争中の陸軍・海軍の軍人たちと右翼結社群の無知蒙昧、専制政治、暴力主義などにはあきれ返る。日本がなぜこのような低級国家になり下がったのかについては、もっと研究吟味をする必要がある。
戦前・戦中の日本は一部の「頭の悪い」軍人・・・その典型が東条英機・・・利権を漁る右翼・・・典型は笹川良一・・・そしてグローバルな視点に欠けるマスコミや官僚に支配されていたのだ。
国を支配していたのは右翼と結びついた軍人、それに権力によりそる、長いものには巻かれる官僚達だった。インテリは何をしていたか? 無力だった。暴力の前に、ペンも無言になった。そしてマスコミは軍人、右翼、官僚の御用機関と成り下がった。
ある東大教授などは「東条英機などは中学生程度の頭脳レベルですね」と嘆くが、その男に国を支配され、インテリは無力をさらけ出した。インテリはおべんちゃらを言うか、無言でいることしかできなかったのだ。
当時の軍人達の暴力主義と、利権漁りと、無知蒙昧には吐き気がする。
1月11日に多磨墓地に行ったら、そこには東郷平八郎、山本五十六など、多くの軍人達が祀られていた。軍人の名簿があったので、ぱらぱらとめくってみた。阿南陸相の辞世の句がでていた。「日本を敗北に追いやったのは軍人の責任だ。切腹して謝罪するほか無い。これで神州日本が滅亡しないことを信じて先にしなせてもらう」とあった。
これには納得した。責任感もあり、軍部が間違っていたことを認めているのだ。だが、腹立たしい辞世もあった。名前は忘れたがその軍人は言う。「日本は原爆に負けたのでもない。まだ勝てた。ただ腰抜けの重臣が天皇陛下をそそのかして無条件降伏をうけいれたのがいけない。最後まで日本を焼土として戦えば、日本は米国に勝てたのだ。今は無念の切腹をする」
このタイプの軍人こそ、当時の典型なのだ。彼らは竹槍でB29爆撃機や原子爆弾に勝つつもりだった。同じタイプの軍人達はサイパンで破れ、マニラで破れ、沖縄で破れながらも、負けているとは認めなかった『おお馬鹿者』だ。だが、そういう『おお馬鹿者』に支配されていたのが、戦前・戦中の日本だった。
彼らは『おお馬鹿者』だけでなく、むしろ『狂気の人々』に近いといっていい。こういう人々に支配されていた当時の日本の様相を見ると、米国が原爆を投じて、終戦をはやめようとしたという言い分にも一理出てくる。
そう、こんな「おお馬鹿者」に支配されていた日本は、原爆でも落とされていなかったら、それこそ竹槍1本で機関銃、戦車、爆撃機、原子爆弾に対抗していただろう。それこそ日本民族の滅亡につながったに違いない。こういう軍人たちの無知は、無責任であり彼らこそ『日本人の敵』だと見なさないといけない。
だが日本のほとんどの人々が、この戦争を支持していたのも事実だ。いったに、日本人の心理に何が起こったのだろう。
清沢は最初から敗戦を予測していたが、それは異端で、小汀利得(評論家)鶴見祐輔など、ほとんどの人々が、日本の勝利を楽観していた。だが、時が経つに連れ、清沢の予測がことごとく当たったので、彼は預言者のように尊敬された。
だが、清沢はただ、『世界の常識』をわきまえていただけだった。世界の常識から見たら、日本の敗戦は当然であり、そもそも対米戦争を起こすこと自体が日本の思い上がりであり非常識だったのだ。
日本にはこの『世界の常識』を理解できる人が少なかった。理解していた人もいた。戦争を早く終結させようとした吉田茂などもその一人だった。
だが、現在の日本を見て『世界の常識』をわきまえている日本人は、戦前よりも多いのだろうか? あるいは、戦前のように暴力によって言論が押えられ、専制政治になったら、それに対抗できる人々は居るのだろうか? 大いに疑問になる。 (つづく)
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