今週の疑問
「日本人(42)暗黒日記を読んで(2)」
大地舜
1月20日
太平洋戦争に踏み切った日本人は賢くなかった。今から見れば無謀な戦争であったことは明らかだった。だが、なぜ、国民のほとんどが大賛成だったのだろう?
この疑問は40年前に高校生だったときに感じ、いろいろと本を読んだ。日本が戦争に踏み切った理由をさがしたのだ。
そこで分かったことはたくさんあった。
第1に、当時は帝国主義時代で、欧米も植民地を持っていた。そこで日本やドイツやイタリアなどの帝国主義の後発部隊も、欧米の仲間入りをしようと頑張った。日本は朝鮮半島、満州、台湾、南太平洋を支配下にいれ、中国も支配下に入れようと欲張った。すでに利権を持つ欧米諸国は、新興国の帝国主義参加を好まなかった。そこで、そこには対立が生じた。
第2に、ヒトラーがヨーロッパで独得な哲学に基づく戦争をはじめた。『わが闘争』を読むと、その思想がわかる。
英国は孤立し、危機が迫った。だが、米国は動けなかった。アメリカ国民が海外の事件に関与するのを嫌がったのだ。今の米国とはまるで正反対なわけだ。そこで、日本に圧力をかけ、戦争を起こさざるをえないように運んだ。石油の禁輸はもっとも強烈なパンチだったらしい。
このように、気に入らない国を強引に戦争に引きずり込む方法は、現在も行われている。いや原住民のインディアンを滅ぼすときにも使われている。いわばアングロサクソンの常とう手段だ。
アフガニスタンのタリバーン政権も滅ぼされた。イラクも無理難題を言われてフセイン政権は風前の灯火。北朝鮮も同じ目にあうだろう。
理不尽と見える行為に我慢できなくなった帝国日本は、真珠湾奇襲にでたわけだが、奇襲のことを当時のルーズベルト大統領は知っていたが、戦争を起こしたかったルーズベルトは、無視した。日本は見事にワナに引っ掛かったわけだ。このあたりの推移も9・11事件とよく似ているが、それはこの原稿のテーマではない。
日本がルーズベルトのわなにかかったのは、今では常識だろう。日本が欧米の植民地主義をまねて、海外諸国を侵略したのも常識だろう。
だが、当時の日本人が「世界の常識」を知っている国際派の言うことを聞かずに、戦争に飛び込んでいったのは、謎だった。
死んだ親父に聞いたことがある。「なんで日本は、あんな無謀な太平洋戦争に飛び込んだのだろう。勝てると思っていたのだろうか? 親父が戦争を本気で支持していたなんて信じられない」
親父は神妙に答えた。「実は、心から日本の勝利を信じていたし、戦争には全面的に賛成だった。他に道はないと思っていた」
親父は医者だった父親に早く死なれ、苦学して今の一橋大学をでた。まあ、インテリの端くれだ。家では、子どもの頃から私も一緒になって常に天下国家を論じていた。その親父が無謀な「戦争に賛成」だったのには驚いた。
だが、『暗黒日記』を読んで、当時の日本人がなぜ太平洋戦争勃発を支持したかが分かった気がする。
これはどうやら明治維新の反動がでたのだ。ルーツは明治維新にあるのだ。
ペルー提督が黒船を引き連れて日本を訪れてからずいぶんたつが、当時の日本人は誰でも国粋主義者だった。というよりもそれ以外の立場は存在しなかった。実は、今でもそれは変わらない。島国日本の住民の99%は、私を含め国粋主義者だ。
明治維新で政権を掌握した国粋主義者達は、国粋主義では日本を守れないことを知った。そこで急きょ、国際主義者になった・・・国際人に変貌した。鹿鳴館時代の到来だ。当時の日本と欧米の力の差は、大きく、日本が生き残るためには、急速な欧米化が必須だったのだ。そこで強烈な国粋主義者だった人々が、突然、国際人のように振る舞った。法律も輸入、全ての面で欧米化を目指した。「欧米に追いつけ追い越せ」が合言葉になったのだ。
それから日清・日露戦争があり、日本は国際社会での地位を高めた。日露戦争までは戦争捕虜の扱い方も、欧米流に倣った。つまり欧米のルールにしたがって優遇した。
ところが、第二次世界大戦・太平洋戦争で日本は急変した。それまでの欧米の真似をやめたのだ。捕虜の扱い方も日本流にした。ということは戦国時代の捕虜とは言わないが、それに近い扱いにしたのだ。つまり日本国粋主義の復活だ。
どうしてこうなったのか?
明治維新の時の国粋主義者者たちは、急きょ、国際主義者になったが、それはストレスのたまる状態だった。国民も、分けの分からぬ法律や工場システムを押し付けられ狼狽した。だが、それらすべては「欧米に追いつき、追い越す」ために我慢されたが、ストレスは貯まった。
日清・日露の戦争は日本の勝利であり、近代化=欧米化の成果の賜物だった。これで自信をつけた日本人は、本性を出しはじめた。それが国粋主義への復帰だった。
欧米にほぼ追いついたと考えた当時の日本人は、明治維新前の国粋主義者に戻ったのだ。つまり八〇年間の欧米化の反動が、昭和の軍部と国粋主義結社による日本の支配として現れたのだと思う。一般の大衆も、それには迎合した。当時の大衆の気分が、欧米への迎合主義から開放されたい、と思っていたのだろう。そこで極端な国粋思想が無批判に受け入れられることになったに違いない。その結果が無残な敗戦だった。
こういう日本の性向は、戦後、どう変わったのだろう? (つづく)
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