今週の疑問
「日本人(43)暗黒日記を読んで(3)」
大地舜
1月27日
明治維新で西欧と遭遇した日本の国際主義者達は、突如、国際主義者になった。そのありかたは極端で、和服をやめて燕尾服にし、鹿鳴館では奥方を伴ってダンスに興じた。
日本の指導者の多くは、欧米にたいして深い劣等感を感じていた。そのあたりの事情は現在『ベルツの日記』を読んでいるので、よくわかる。ベルツはドイツ人の医師で、明治維新の数年後に日本に来て、それから二六年間日本に滞在し、箱根や伊香保の温泉を開発した親日家。
さて本題は日本人の『国粋主義の狂気』だ。太平洋戦争前と戦争中の日本の軍人がいかに『気が狂い』、国民大衆も気の狂った軍部を支持し、天皇もそれを支持した件だ。
前回述べたように、それは明治維新以来の日本人が感じた欧米への劣等感のうっ積が爆発したからに違いない。日本にはもともと国粋主義者しかいない。それが、欧米のルール、習慣、法律に合わせようと、八〇年間も無理をしてきた。そのストレスを発散させたのが、太平洋戦争の1面でもあったといえるだろう。
この日本人の極端な『国粋主義』はその後、変わったのだろうか? 本質的にはまったく変わっていないといってよいだろう。極端な国粋主義者=日本人なのだ。
戦後生まれの日本人として、欧米人にたいする劣等感は、第二次世界大戦で負けたことから生まれたと思っていたけれど、それは間違いだった。明治維新の時から、日本人は欧米への劣等感に悩まされてきたのだ。
欧米諸国に対する劣等感の克服が日本人の課題のひとつになっているが、敗戦国家・日本の現状では、まだ一〇〇年はかかるようだ。
二一世紀の日本人は、個人的な面では欧米人に劣等感を持たない人が増えてきている。だが、それは個人的な世界における感情にすぎない。国際政治や世界統治といった分野を見たら、まだまだ日本人は劣等感を感じるはずだ。
一九八〇年代終わりに日本はバブル景気に浮かれた。このとき、日本人の多くは太平洋戦争では負けたが、経済戦争では米国に勝ったと有頂天になった。だが、それもはかない夢だった。
国として、日本はまだ米国の属国という立場から抜けていない。真の独立国ではない。この状態にはメリットとデメリットがある。メリットは、地球が小さく感じる世界で、経済大国日本が軍事力も備えた本格的独立国になると、地球がますます狭く感じ、摩擦の元になりかねないこと。
デメリットは、米国の軍事基地に国を守ってもらい、米国のいいなりになるお妾さん的存在で居ると、いつまで経っても、欧米にたいする劣等感をぬぐえないことだ。
まあ、当分、日本人は個々の力で、欧米人に尊敬されるようになり、個人的世界では劣等感を持たずにすむことが望ましい。日本が軍事国家にはなって欲しくないが、真の独立国家の道は模索するべきだと思う・・・が、その道は険しいようだ。
さて『暗黒日記』に登場した人物で、興味を覚えたのは武弁の人・鈴木貫太郎首相だった。鈴木貫太郎海軍大将は二・二六事件で銃撃され、九死に一生を得ている。山本五十六元帥がもっとも尊敬していた先輩でもある。
当時、侍従長だった鈴木貫太郎は、二二六事件で凶徒の襲撃にあい、用意の名刀を探したが見つからず、遁走するのは武士の恥と思い、徒手、凶徒の面前に立ち、彼らが『問答無用』と叫ぶや、『しからば撃て』と怒鳴りつけたそうだ。
当時の新聞の抜粋を読むと『私は政治が嫌いであります』『私の屍を越えていけ』と言っている。こういう政治が嫌いな人にこそ、政治をお願いしたいものだ。
また『家康は個々の戦闘には決して勝っていないが、三〇〇年の天下をとったではないか』(昭和二〇年四月一二日・朝日新聞)と、意味深長なことも言っている。
つまり、『日本が敗戦しても、長期的に見て天下を取ればいいではないか』と言っているとも言える。つまり、首相になったときから、敗戦を覚悟しており、その後の三〇〇年を考えていたのかもしれない。
そうだとすると、日本に鈴木貫太郎大将が残っていたことは幸運だったと言わざるを得ない。鈴木貫太郎がいたからこそ、はやめに終戦を迎えられたに違いない。
『暗黒日記』の著者、清沢洌(きよさわ・きよし)は、天皇制を崇拝する自由主義者だった。この本では昭和天皇の述べたことなどもでてくる。
昭和天皇が亡くなった時、私はオーストラリアにいた。そのとき、オーストラリアの新聞は昭和天皇の大特集をした。真珠湾攻撃で大戦果をあげて小躍りする昭和天皇が描かれ、マッカーサー元帥に『全ては私の責任です』と言ったことも書かれていた。
異国の地で昭和天皇の評価はまちまちだった。だが、涙もろい私は、驚いたことに、昭和天皇のご苦労を思って英字の新聞を読みながら涙が出た。私も、実は国粋主義者なのだ。だが、極端ではないだけだ。
だが、昭和天皇が真に優れた君主であったかどうかは、やはり疑問だ。『戦争に反対したら、軍部から暗殺される』と恐れていたそうだが、それは無理もない。だが、もっと戦略力・胆力・気骨のある人物だったら、軍部と戦っていただろう。気が弱すぎたのは仕方ないのか? そういえば、似たような事態に直面したタイ王国の国王は、軍部と対決し、タイ王国に民主主義をもたらしている。
|