六年たって判明した
前期旧石器遺跡ねつ造事件の真相と
低迷する旧石器考古学
ふわっとした土の謎
藤村新一がねつ造した石器は、ふわっとした土の中から出ていることが広く知れ渡ったのは二〇〇〇年の夏だった。月刊誌『現代』一一月号のインタビューで、藤村が次のように答えたのだ。
「石器の周囲にある礫(小石)は、たいてい腐っていたりするんですけど石器は腐らない。生きているんです。土もほとんど石器に付着していないから、掘り出すときは“ふわっ”と軽くとれる」
これを読んだ考古学者たちの多くが、藤村のねつ造に気がついている。「これはおかしいとすぐに気づきました。後期旧石器の石器を掘ったことがあればすぐにわかりますが、一万年とか二万年の歴史がパックされているのです。竹べらで掘ると竹が曲がりますし、腕が腱鞘炎になるくらい掘り出すのが大変なのです」(佐々木藤雄)
人類学者の馬場俊男も土が「柔らかい」という言葉で、ねつ造を確信したと言う。
国立歴史民俗博物館の故・佐原真館長は次のように言っている。
「移植ごてで土を削れば、今まで動いていない土を自分が動かしているのか、一度動かした土を掘っているのか、たいていの場合は分かるんですけどね」
だが、「ふわっとした土からでる」ことは、岡村道雄、鎌田俊昭、柳田俊雄、梶原洋、横山裕平などの旧石器の専門家が指導していた石器文化談話会では、まえからの常識であった。この時期のことを詳しく取材した『最古の日本人を求めて』(河合信和著)には、この話が二回も出てくる。
「彼は、この二、三年の間、移植ゴテを使っているうちに、土の手触りで、石器が出そうだ、と分かるようになった、という。掘っているうちに、コテの先の火山灰が、ふわっと軟らかくなるのだそうだ」
「“藤村君が大名人なら。私らは名人。・・・石器の乗っている土は、周りが硬いのに、そこだけふわっとするのです。コテでこう削っていても、あ、あるな、と分かりますものね”このような名人は、今や四、五人にもなっているのだという」
このエピソードは少なくとも一九八五年夏よりも前になることは確かだ。この本の執筆は一九八五年の晩秋には終わっていたからだ。
このことから分かることは幾つかある。一五〇名も居たという石器文化談話会のメンバーの多くは、地元のアマチュア考古学愛好家だった。かれらは地上に落ちている石器や土器を拾い、開発工事現場から出て来た石器や土器を採集していたが、学術発掘は初めてのことであり経験不足だった。
また、馬場壇A遺跡で石器を自ら掘り出したという角張淳一(株式会社「アルカ」代表取締役)や長崎潤一(札幌国際大学教授)は、当時、まだ大学生であり、経験が不足していたのだろう。
だが不思議なのは発掘を指導していた岡村道雄、鎌田俊昭、梶原洋などの旧石器の専門家たちの反応だ。彼らは、ふわっと出ることを不審に思ったはずなのだ。鎌田などは南関東の後期旧石器の遺跡での発掘経験もある。一方、岡村は金取遺跡で本物の旧石器の出土を確認しているのだ。
金取遺跡の石器の出方
座散乱木遺跡の調査が進んでいるころ、岩手県の金取遺跡で、発掘指導していた考古学者・菊池強一は、八万年前の地層に石器を見つけ、すぐに小林達雄教授と旧石器学界の長老・芹沢長介に連絡をとり、現地指導を頼んだ。
秋田の研究者たちを引き連れた小林達雄は、すぐにやってきた。
「これは古い地層だね。やー古いな。すべて残っている。チップ(小片)も自然の石も全部のこっている。いやー、締まってるなー(石器が土からはがれない)」と大喜びした。そしてその日の夜に岡村道雄に電話を入れた。「いやーこれはすごいよ。岡村君も見に来なさい」
岡村道雄はすぐに金取遺跡にやってきて「本当ですか?」と菊池に聞いた。そして崖のところから頭を出している状態の石器を見つけて動かそうとして「動かないなー」と言った。翌朝も岡村は土に埋まっている石器を動かそうとして「動かないなー」と言った。
このとき、菊池は・・・岡村さんは旧石器遺跡の、ぴしっと入っている石器を掘り出したことが無いのかな・・・と思ったと言う。だがもう一つの可能性がある。それは、それまでの岡村の発掘経験と異なっていたことだ。
記録を見ると一九八〇年四月に岡村道雄は「神の手」藤村が座散乱木の農道断面に埋め込んだ石器を取り出して感激している。
このとき岡村が掘り出した石器は藤村のねつ造だった。そうなると、ふわっとした土の中からとりだせたはずだ。だが金取遺跡の石器は、崖からとり出せないほどびっしりと土に堆積されていた。つまり座散乱木遺跡の経験と、金取遺跡の経験があまりにも違うので、岡村道雄は戸惑ったのではないだろうか?
裏切られた信頼
岡村たちの発掘現場で、石器が出るとすぐ取り上げて洗ってしまったこと、石器にガジリが見られたこと、黒土が付着していたこと、ふわっとした土から石器がでてくること・・・などは、発掘当事者以外には知りえないことだ。したがって検証調査の結果、初めて一般の考古学者は、その事実を知ったことになる。
考古学の発掘には決められたマナーがある。
そもそも遺跡の発掘は破壊行為であり、密室の作業であり、現場で発掘した人にしかわからない事柄も非常に多い。そこで部外者は、まず岡村道雄、鎌田俊昭、梶原洋、柳田俊雄などの調査が信頼できるという前提で遺跡や石器を評価する。それが考古学界におけるマナーなのだ。遺跡の発掘が終わって報告書が出るまでは、部外者が彼らの研究を批判することも、口を挟むことも許されない。『前期・中期旧石器問題の検証』報告書ではつぎのように述べている。
「研究のプライオリティーを有する発掘担当者が、調査研究している最中に、部外者から“おかしいと思うから調べたい”と申し出があったとすれば、拒否するのが普通であろう・・・常識から外れるように見えても、確たる証拠を握っていない限り、発掘担当者が公表した所見を尊重しつつ論じるのが普通である」
一方、国学院の小林達雄教授は言う。
「考古学というものは遺跡と対話して発掘した第一次関係者の整理検討が終わらないと、外部のものは自由に触ったりできません。当事者たちは真摯な資料批判をしなければなりません。私たちは真摯な資料批判がされていると思う他ないのです」
ネブラスカ・リンカーン大学人類学教授のピータ・ブリードは次のようにいう。「前・中期旧石器の発掘は、有能で責任ある研究者によって監督されていた(註:鎌田や岡村、梶原、柳田などのこと)。私には彼らのすべてが騙されうるとは信じられないし、注意を怠っていたとしても彼らの業績のすべてがチャラになるとも思えない」
そう、このように、発掘当事者への信頼は厚いのだ。つまり「神の手」藤村新一のそばには、岡村道雄や鎌田俊昭、梶原洋や柳田俊雄などのそうそうたる旧石器の専門家が保証人として控えていたことが、遺跡ねつ造を成功させる重大な鍵になっている。
彼らが真摯な資料批判をしなければ、他にできる人はいない。かれらが常識から逸脱した調査をすることは重大な「不正行為」であり、それにくらべれば考古学の研究者ではなかった「神の手」の罪は、むしろ軽いのだ。なぜなら考古学では「ねつ造」や「偽物」の存在は日常茶飯事であり、それを見抜くのが専門家の仕事だからだ。
(つづく)