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今週の疑問
「『神の手』に罪は無かった(4)」

大地舜
ニューパースペクティブス・クオータリー東京駐在員
2月5日

六年たって判明した
前期旧石器遺跡ねつ造事件の真相と
低迷する旧石器考古学

戸沢充則は水戸黄門か?
 このような「不正行為」が判明したにもかかわらず、考古学会は神の手・藤村新一だけを悪者にして、あとはお咎めなしで納めた。検証報告書を見ると、手厳しい批判はしているのに、なぜ学者による「不正行為」があったことを明言しないのだろう。そこに考古学界の悪しき体質がでているのではないだろうか。
 このように話を運んだ多くの責任が、調査研究特別委員会の初代委員長であった戸沢充則にある。だからこそ、今になって戸沢充則はやり玉に上がっているのだ。
 では戸沢充則がどんな間違いを犯しているのか、見てみよう。
 多くの考古学者たちは、戸沢を初代委員長にしたのは失敗だと見ている。だが、これを口に出せる人は多くない。なぜなら徒弟制度がいまだに通用している狭い封建的な考古学界で、長老・戸沢充則の批判をするのはタブーだからだ。
 人類学者で戸沢充則の影響力を恐れる必要がない馬場悠男は次のように語る。
 「実は委員長は五〇歳ぐらいの教授がなるべきだと、みんなに言って、そそのかしたのですが、だれも乗ってきませんでした・・・戸沢さんには反発がありましたが、考古学の教授たちは、だれも真っ向から反対しません・・・戸沢さんに委員会をぎゅーじらしたのは失敗でしたね。戸沢さんはねつ造事件の当事者の一人でもあったわけですから」
 同じく戸沢の影響力を恐れる必要のない縄文学者の佐々木藤雄は言う。
 「明治大学を代表していた戸沢さんは、故・杉原教授の慎重路線を変えた、ねつ造事件の当事者の一人です。彼が委員長になるのでは、火をつけた本人が“誰が犯人だ!”と言っているようなものです。ねつ造事件に関しては、東北大と明治大学の責任が大きいのですが、特に旧石器研究を背負ってきた安蒜さん、戸沢さんの責任は極めて大きいと思います」
 独断専行を好む戸沢充則は、教え子の鎌田俊昭のルートを使って、神の手・藤村新一と秘かに面談をはじめた。
 このような戸沢充則の独断専行には、民主主義的性向が感じられない。藤村新一との面談は、当然、特別委員会で検討されるべきものだろう。特別委員会に「事情聴取部会」をつくれば、藤村新一からもっと綿密な情報が得られた可能性もある。
 独断専行した戸沢充則は、藤村が自白をはじめたので狼狽することになる。
 第三回の面談の後、藤村の主治医から「藤村メモ」が送られてきて、二〇数ヶ所のねつ造遺跡が告白されたのだ。
 この告白メモの内容が事実かどうかは、当時、不明だった。まだ調査委員会が遺跡を検証中であり、ねつ造は大きく拡大しないと考えていた研究者も多かったのだ。
 二〇〇一年九月三日に北海道の総進不動坂遺跡の再発掘検証調査が終わった。記者発表の前に、調査検討委員会のメンバーが集まり、再発掘の結果をふまえ、遺跡を評価する非公式の会議を開いた。
 会議では遺跡の評価をめぐり、意見が二つに分かれていた。大勢を占めていたのは「現時点で遺跡自体の信ぴょう性に踏み込むのは時期尚早」という意見で、記者会見では「灰色」裁定に落ち着きそうだった。
 その時、オブザーバーとして出席していた戸沢委員長が発言した。「ここにリストがある。彼(藤村)が告白した過去二年間のねつ造二〇数件が載っている」と言って、クリアファイルに入ったペーパーを頭上に掲げたのだ。調査検討委員会のメンバーは、藤村氏がねつ造を認めていることがわかり、声も出なかった。この「リスト」の存在が、記者会見の内容を「限りなくクロに近い」と踏み込ませることになった。
 これが戸沢委員長の「告白リスト」の使い方だったとすると、まるで水戸黄門の印籠だ。
 戸沢黄門の印籠が見せられなければ、総進不動坂遺跡の再発掘検証調査は「灰色」裁定で終わっていたのだろうか。戸沢黄門の印籠を見せるのは、学問的な方法なのだろうか。それとも旧石器考古学というのは、印籠を見せないと合意が得られないほど、非科学的・非論理的な学問なのだろうか。 
 埼玉県の田中英司(埼玉県立博物館)はいう。
 「本来の学問的な検証作業による評価こそがねつ造資料に対する唯一の解決方法であるのに、その作業に先んじて当人への事情聴取を行っています。その結果、神の手を神の声にしかねない危うい事態を招いています。・・・厳しく検証による評価を示して、この学問の再生を図らなければいけなかったのです」
 だが戸沢委員長が目指したのは「検証による評価を示す」ことではなく、「神の手を神の声にしかねない」、極めて非学問的な方法だった。

(つづく)

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