kitombo.com | 今週の疑問 | 2003年2月24日
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今週の疑問
「子育て番外編(しつけ)」

大地舜
2月24日

 近所のすし屋に出かけたら、子どものしつけが話題になった。すし屋の大将は、「最近の若い夫婦のしつけはみていられませんねぇ」と嘆く。「しちゃいけません、こうしなさい、ではなく、あのおじさんに怒られるからやめなさい、ですからねぇ」
「でもそもそも、大人に子どもをしつける資格があるのかなぁ」と私。
「えぇ、大地サンは性善説ですか? あっしは性悪説で、子どもはしつけないないかぎり悪いことをすると思ってますねぇ。そうでしょうが、子どもに善悪がわかりますか? やっていいこと、悪いことを教えなければならないんですょ」
「フーン、私の考え方はまったく違うな。子どもにしつけが必要になるのは大人が悪い手本を見せているからだと思う。悪いのは大人で、子どもは正直なだけだと思うね」
「えぇ、そんな考え方があるんですかね。だって、子どもをしつけるのは大人の仕事でしょうが?」
「そうじゃないんだよ。こどもにしつけなんかいらないんだ・・・もし大人が正しく振る舞っていればね・・・でも、ほとんどの大人はダメ人間だから、子どもにしつけが必要になるんだと思う」
 と、こんな会話をしたところで、店をでることになった。
 土曜日の7時だというのに客は我が家の3人だけ。不況なのか、このすし屋の人気が衰えたのか・・・四〇分間座っていたのに誰も入ってこなかった・・・そう言えばシャリの味がいまひとつだった・・・。
 家に帰ったら友人の翻訳家から本が届いていた。
『「させる」「やめさせる」しつけの切り札』というタイトル。
「二歳から一二歳までの1・2・3方式」が副題。
 これは読んでみなければ・・・少なくとも著者の基本的な考え方を知ろう、と思った。そこで読みはじめたが、私の見解とは全くかけ離れていた。
 この本によると「子どもは小さな大人であるとの見方は、子どもは純真な心を持ち、分別があり、利己的ではない・・・つまり私たち大人を単に小さくしただけ、と思っているところからでてくるようです」(23p)とある。
 これだけ読んで、笑ってしまった。この論理に従えば、「大人とは純真な心を持ち、分別があり、利己的ではない」ということになる。
 この定義は、通常の「大人」の定義の正反対ではないだろうか?
「純真な心」をもった大人など、数少ない。居たとしたら、「ただのアホ」と」して馬鹿にされているだろう。
「分別がある」大人など例外中の例外。ほとんどの大人は分別なく、浮気したり、泥酔したり、借金したり、博打に走ったり、ガキと変わらない。
「利己的でない」大人などなどいるのだろうか? ほとんどの人が自分の利益を第一にしている。しない人は『アホ』あつかいされるのが現代の資本主義社会。
 さらに、この本では「子どもは子どもであり、小さな大人ではありません。子どもは分別に乏しく、利己的になりがちです。そうした彼らを正すことが、私たち親の、そして教師の役目なのです」(25p)とある。
「ふざけるな!」と思った。私に言わせれば、「分別に乏しく、利己的になりがち」なのは、大人の方だ。少なくとも小さな子どもはもっと純粋だ。それが「分別に乏しく、利己的な」大人の世界に毒されて、大人の真似をする。そこで「しつけ」なる奇妙なものが必要とされるようになるのだ。
「しつけ」とは、本来、矛盾した存在。大人が悪い手本を見せておいて、それを矯正しようとするわけだ。
 理想を言うと、「しつけ」など世の中に必要ない。必要が出てくるのは、親や周りの大人が悪い見本を見せているせいなのだ。
 私は6人兄弟の末っ子で、競争の激しい戦後の世界に育った。だが、子どものころを考えてみても、『勉強しろ』と言われたことはあるが、怒られたり、怒鳴られたり、殴られた経験は無い。親は非暴力主義だった。徹底して暴力を否定する親だった。したがって私も、子どもに暴力を振るったことはない。言葉の暴力もしないように気をつけてきた。
 個人的な経験を言うと、私の場合、子どもを怒ったとか、あるいはしつけたという記憶はない。だが、子どもに怒られたりしつけられた経験は何度かある。
 一匹狼のフリーライターの私は、本来、人の好き嫌いが激しい。ある家電屋さんに小学生の息子と買い物に行った。私はそこの店員の態度が気にくわなく、極めてぞんざいに扱った。何を聞かれてもろくに返事もしなかったのだ。
 そしたら10歳ぐらいの息子に言われた。「お父さん。誰に対してもそんな態度を取ってはいけないよ」
 前にも書いたが、私の子育ての基本は「子どもを尊敬すること」。子どもを一人の人間として尊敬していれば、しつけをするなどという発想すら生まれない。
 結論はひとつ。「大人、大人といばるんじゃない! 大人なんて諸悪の根源。反省すべきは大人。大人が身を正せば、しつけは不要になる。大人が子どもをしつけるなどという考えは、おこがましい。大人がそのように生意気だから、子どもも真似をする。子どものしつけが必要になるのは、大人が至らないために過ぎない」
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