野球の中村選手が巨人軍の渡辺オーナーに嫌われた。髪の毛が黄金色で、モヒカン刈りで巨人軍に合わないという。
この話は、世代間の考え方・国際感覚の相違などを浮き彫りにしており面白い。
渡辺オーナーが古いタイプの日本人であることは間違いない。考え方は戦前スタイルの日本人。つまり形式主義者。
一方、中村さんの方は現代の若者の一人で、個性を強調しているつもりだ。実はこれも面白い。髪の毛を金色に染めると、なるほど、日本では個性的だ。私も白く染めている・・・(これはシラガ!)、金色にそめたら誰でも日本では目立つ。ところが、欧米諸国に行ったら、この「しょんべんカラー」(失礼!)は、まったく個性の無い色。
欧米諸国で日本の男女が現地の若者にもてたかったら、黒髪のままがいい。そう、金髪や茶色い髪の毛を持つ人々の国では、黒髪こそ垂涎の的なのだ。黒髪に「ゾクゾク」と感じる白人男はたくさんいる。黒髪にほれ込む欧米女性もたくさんいる。だが黄色人種の「しょんべんカラー」に惚れる欧米人は奇人に属する。
サッカーの小野選手はオランダにいるが、もうそろそろ坊主頭も「しょんべんカラー」も卒業するのではないかと思う。
先日、あるテレビ・プロダクションのディレクターと一緒にインドに取材に行った。この若い方は「しょんべんカラー」に髪を染めていた。ところが。帰国して10日ぐらいたったら、髪を黒く染めている。
この心境の変化の理由は聞いていない。インドでは、髪の毛を染める男は見当たらない。染めても黒く染めるだけだろう。
どういう心境の変化か? と、ディレクターの心のなぞ解きをしながら地下鉄に乗って周りを見渡すと、びっくり。若い男の70%が黒髪だった。どうも、日本の若者の髪の毛は染められているのが普通・・・という先入観を持っていたらしい。それとも黒く染めるのが新しい流行なのだろうか?
この辺りは流行に敏感な21歳の息子に聞いてみるほかなさそう。
それはともかく、人と違う個性を発揮しようとすることは良いことだ。若者の髪の毛の色ぐらい、ピンクでもグリーンでも本人がハッピーなら、好きにしたらいいと私は思う。何でも形にはめ込もうとするのは、独裁政権につながる・・・ちょっと大げさか・・・。
「若者の見本になるべき巨人軍の選手に、髪の毛を染めるやつはいらない」というのは戦前タイプの形式主義者の言葉に違いない。そういえば、ワールドサッカーの時にも、サッカー選手の赤い髪やモヒカン刈りが問題視された。ということは、現在の日本にも、当然ながら戦前の形式主義が色濃く残っているのだろう。
形式主義とは何か?
広辞苑には「一般に事物の形式を重んじる結果、内容そのものを軽視または無視する態度」とある。
別の言葉でいうと「形を整えれば内面も整えられる」と考え、何でも枠に押し込め、人々の自由を奪うこと。自由な発想、自発性、創造性を好まない、独裁者タイプの人々に見られる態度だ。
形式主義は殺人マシーンを作る軍隊に最適な考え方だ。兵士に自由な発想、自発性、創造性を発揮されたら、効率的な戦争などできないだろう。
こういう形式主義者タイプの人々が必ず言うのが、「最近の若者は髪の毛は染めるし、服装はだらしがない。愛国心も希薄で、日本の将来が心配だ」といった意見。これも実は、とんでもない誤解。
日本人の多くは、日本人がいかに愛国者かを知らないでいる。ただし、ここで言う愛国心とは、郷土や隣人を愛する自然な心のこと。いわゆる国や民族という抽象的な概念を愛する愛国心ではない。もっと素朴な隣人愛、郷土愛でありつまり独得な文化を愛する心だ。相互神・調和に支配される日本という国は、世界でも独得の文化を持っている。この日本という風土に住む人々のユニークさは、海外で生活すると良く分かる。
日本国内でどんなに西洋かぶれしていた人でも、海外で生活すると、ほとんどの人が素朴な愛国心に目覚める。私たちが警戒すべきは強すぎる利己的な愛国心であり、「日本人は無条件に素晴らしい」などという、抽象的な錯覚した閉鎖的な愛国心。
形式主義者が求める愛国心とは、民族とか国という抽象的概念への忠誠心なのかもしれない。そうだとしたら、そんな愛国心は害毒をもたらすだけで不要だ。必要なのは独得な文化、郷土、隣人への愛だ。
国や民族は変遷し滅びても、文化や風土や隣人は残る。
そして日本人に郷土や隣人への愛の心が不足していると心配する必要は全くない。なぜなら、日本人ほど無自覚のうちに素朴な愛国心の強い人々も珍しいからだ。
PS:「手相の科学」ですが今週は休みました。「今週の疑問」とは別のコラムとして来週から掲載していきたいと思います。なにしろ長編なので・・・。