kitombo.com | カルタゴ皇帝ゴンの世界 | 2003年3月17日
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カルタゴ皇帝ゴンの世界
「楽園を求めた縄文人7」

カルタゴ皇帝ゴン
3月17日

アメリカ大陸に残された縄文人の痕跡
 ケネウィックマンの起源を明らかにする最もよい方法は、DNAを調べる事であった。しかし、困難な裁判の末、科学者側にDNAテストが認められたにもかかわらずテストは失敗してしまった。残念な事だがケネウィックマンは、現在も所有権をめぐる裁判を係争中で、これ以上の研究は望めそうに無い。
 しかし、2001年7月、ミシガン大学のローリング・ブレース博士の研究グループによりケネウィックマン縄文人説を裏付ける更なる証拠が出てきた。
 ブレース博士等は、北米の西部地域及びアジア大陸に住む現在の住民、及び古代人の1000人分以上の頭蓋骨を21箇所の解剖学的基準に基づいて比較検討した。それぞれの測定結果を、デンドログラムと呼ばれるツリー状のグラフにまとめた結果、古い時代のアメリカ先住民は、現在のアメリカ先住民や北方アジア人とはまったく似ていない事がわかったのだ。
 古代のアメリカ先住民に最も近いのは、縄文人と現在のアイヌ人、ポリネシア人という結果だった。いわゆる古モンゴロイドと呼ばれている集団である。ブレース博士等は、これらの研究結果に基づきアメリカ最初の移住者は、約1万5000年前の氷河期に日本から移住してきた縄文人であり、約5000年前に北方アジアから移住した人々が先住の縄文人と入れ替わり現在のアメリカ先住民になったと言う仮説をたてた。
 はたして、ケネウィックマンや古代のアメリカ先住民は、縄文人だったのだろうか。アメリカ大陸で発見された古代人の骨が直接的に縄文人と結び付けられたのは、ケネウィックマンの発見以降の事である。しかし、縄文人がアメリカ大陸に到達していたのではないかと言う仮説は、実は以外に古くから唱えられていた。
 最初にこの仮説を唱えたのは、米国スミソニアン協会のエバンス博士夫妻である。1965年にエバンス博士夫妻は、中米エクアドルのバルディビア遺跡から発掘された土器が、縄文土器(Pic.12)そっくりであると言う研究報告を行った。
 南北両アメリカ大陸を含め最古の土器文化の一つに数えられるバルディビアでは、5500年前頃から土器文化が始まり3500年前頃まで続いた。
 一方縄文土器は、今から1万6500年前頃から作られ始めたと考えられる為、バルディビアに土器文化が始まった時には、すでに一万年以上の歴史があったわけだ。ところがバルディビアにおいては、縄文人が1万年以上もかけ発達させてきた洗練された土器文化が忽然と現れているのだ。
 バルディビアの土器は含まれる成分の科学的検査の結果、明らかに現地の粘土を使用して焼かれた事が判明している。それにもかかわらず、その文様はエバンス博士夫妻の研究によると縄文土器そのもので、特に九州の縄文土器に酷似していると言う。
 しかし、エバンス博士のこの仮説は長い間、無視されつづけてきた。なぜなら、日本列島とエクアドルでは、あまりにも距離が離れすぎているため、とても縄文人が移動できる距離ではないと考えられたからだ。何しろ、当時の考古学者は、縄文人を狩猟採集しか行わない原始人だと決め付けていたのだ。
 ところが、最近の縄文人に対する認識の変化から、再びエバンス博士の仮説が真剣に検討されるようになってきた。又、バルディビア遺跡からは、土器以外にも縄文人と直接的に結びつく幾つかの発掘品が発見されている。その一つはバルディビアのビーナス(Pic.14)と呼ばれる縄文土偶にそっくりの土偶である。
 縄文土偶と言うと、遮光器土偶があまりにも有名なため、バルディビアのビーナス土偶とはあまり似ていない様にも思われる。しかし、遮光器土偶は土偶の中でも非常に特殊な形状の土偶で、それが為に有名であるだけだ。縄文土偶のほとんどは、バルディビアのビーナス土偶同様に優美な曲線で女性をかたどった物である。その縄文土偶の中でも、日本最古の国宝に指定されている通称「縄文のビーナス」(Pic.13)と呼ばれる土偶などは、まさにバルディビアのビーナスと瓜二つで、一目見ただけで同様の思想の基に作成された事が伺える。
 更に、バルディビアからの興味深い発掘物に楕円形の石に線刻を描いたものがある。この線刻の刻まれた石が、愛媛県上黒岩遺跡の「石のビーナス」と呼ばれる岩偶とまったくそっくりなのだ。岩遇にも線刻が刻まれていて、女性の腰みのを表現していると思われている。これらの岩偶は、おそらく現在のお守りのような使われ方をしたと考えられている。
 上黒岩遺跡の石のビーナスには、その名前の通り線刻が腰みのをまとった人型に明確に描かれている物もある。何の関連性もない2つの地域で腰みのをモチーフにした線刻を刻んだ石のお守りが見つかるとは、偶然と呼ぶにはあまりにも出来すぎているとは思わないだろうか。
 更に、縄文人がアメリカ大陸に到達していた間接的な証拠に、南米と日本だけに存在するユニークな情報伝達手段の結縄文字、いわゆる縄文字(Pic.15)の存在があげられるだろう。結縄文字とは、紐状の物を結んだときに出来る結び目の形で情報を伝達する手段の事で、インカ帝国で使用されていたキープが良く知られている。しかし、このキープとまったく同じ働をもった藁算(Pic.16)と呼ばれる藁の結び目で情報を伝達する縄文字が沖縄地方に現在でも残されている事は意外と知られていい。
 左の写真はインカ帝国のキープで、右の写真は沖縄の藁算のものである、一見あまり似てはいない様にも見えるが、情報伝達手段のアイデアとしては紛れも無く同一である。更に藁算の写真の左上2番目にかけられている物は、輪から結び目の付いた縄が垂れ下がっているスタイルがキープとそっくりである。
 縄の結び目で情報を伝達するなどと言うアイデアが、太平洋を隔てた2つの地域で別々に発生するものだろうか。どちらかがオリジナルであると考えるほうがはるかに理にかなっている。
 南米が原産で、現代文明に必要不可欠な工業品といえば、何が思い浮かぶだろうか。それは、天然ゴムである。ゴムは、ご存知の通りゴムの木の樹液から作られる。ゴムの弾性を飛躍的に高める加硫法の発見以来、工業品として欠かせない存在になっている。しかし、その起源は古く、6世紀頃のアステカ文明や11世紀頃のマヤ文明などでも使用されていた事がわかっている。ゴムの樹液から利用できるゴムを作成する工程は以外に複雑で、ただ単に乾かせば利用できると言う物ではない。しかし、ゴムの樹液の採集は、樹皮に斜めに刻み目を入れ、そこから染み出し垂れて来る樹液を採集するだけだ。
 この光景に何かおもいあたる物が無いだろうか?そう!漆の採集風景そのものなのだ。
 漆も同様の方法で採集した樹液を元に、複雑な工程で塗り重ねられた結果、漆器となるのだ。漆も伝統工芸分野だけでなく、シックハウス症候群を防ぐ塗料として工業分野での利用も期待されている。
 木の幹から採集される樹液を複雑な工程を繰り返し、巧みに利用する技術。この様な技術が、太平洋を挟んだ日本と南米に伝統的に残されていた事実。偶然と言えるだろうか。
 漆の利用法に精通した縄文人が、同じ様に樹液が染み出すゴムの木を発見し何か利用出来ると考えたとすれば、南米でゴムの利用が行われた事も納得がいくのでは無いだろうか。
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