音声コミュニケーション能力
こうした、水辺での生活が何万年、何十万年と続くうちに水生類人猿は、徐々にヒトへの進化の道筋を歩き始めた。初期の水生類人猿に体毛が生えていたのは間違いない事だろう。
しかし、陸上で保温に役立っていた体毛は、水辺での生活では邪魔者以外の何者でもなかった。この時点で、水辺での生活を選んだ類人猿は、体毛に関して二つの選択肢を迫られる事になる。一つは、ラッコやアザラシに見られるように、体毛の質を変え防水・体温保持に役立てる方向である。そして、もう一つの選択肢は、カバや水牛のように体毛を無くしてしまう方向である。比較的暖かな環境に住んでいた、水生類人猿は、たまたま後者を選んだに過ぎないのだろう。こうして、体毛がなくなる一方、皮下脂肪を発達させて体温保持に役立てたのだ。
ところで、水生類人猿が始めて覚えた泳ぎは、何だっただろうか?おそらく平泳ぎであろう。なぜなら、シンクロナイズド・スイミングの達人でもない限り、頭を安定して水面から突き出して泳げるのは、平泳ぎか犬掻きぐらいであろう。そして、犬掻きが非効率的な泳ぎである事は、容易に想像できるだろう。呼吸の為、常に水面から頭を突き出していた水生類人猿は、当然そのままの姿勢で泳ぐ事を覚えたに違いない。
ここで、一つ疑問が出てくるかもしれない。水生に戻った哺乳類は、水中での生活が長くなるに従い後足が、徐々に短くなっている事実だ。アザラシやアシカの短いひれ状の後足がそれである。この疑問も水生類人猿が、後足が退化するほど長い間、水辺に留まってはいなかったと考えると解決するだろう。しかし、長い後足のまま、水辺での生活に適応できるものだろうか。
ご心配なく!哺乳類に前例は無いが、両生類には先輩が存在する。カエルである。カエルは人と同じく長い後足のまま、水棲動物として存在しているのだ。カエルを引き伸ばした姿勢は、妙に人間的だとは思わないだろうか。そして、このプロポーションでは、別名カエル泳ぎと言われるように平泳ぎが最も適している。このように前例がある以上、長い後足の水棲動物が存在できない理由は無いと言えるだろう。

さて、カエルのように両手両足に水掻きを付け、一日の大半を水面から顔を突き出して生活するようになった水生類人猿は、もはや普通の類人猿のように「毛づくろい」や「身振り手振り」で意思疎通を図る事が出来なくなった。そこで、水生類人猿は音声と顔の表情でお互いの意思を伝達する方法を発達させていった。もちろん、チンパンジー以下の脳しか供えていない水生類人猿が、文法の定まった言葉を話せたわけではない。
それでも警戒や脅し、警告、自己顕示、その他もろもろ類人猿が身振り・手振り、音声、表情を駆使して行っているコミュニケーションの全てを、顔の表情と音声のみで行う必要性が出てきた。たとえば、チンパンジーが自己顕示を表すディスプレーをする場合、鋭い牙を見せ、大きな叫び声を上げ、木をゆすり、枝をたたき折り、大騒ぎをして若いオスを震え上がらせる。しかし、水生類人猿では、この全てを顔の表情と音声のみで表さなければいけない。よほど怖い表情を作り凄まじい声を上げないと若いオスを震え上がらせることなど出来ないであろう。こうして水生類人猿は豊かな表情と、多くの音を発声可能な声帯を、獲得していったと考えられる。
エレイン・モーガンの著作の中では、イルカ等の人間同様に音声による高度なコミュニケーション能力を持つ水生哺乳類との比較から、ヒトの高度な音声コミュニケーション能力を、ヒトが一時期水生であった事の証拠として上げている。しかし、ヒトは大きな脳を獲得する遥か以前から身体的ヒトとしての特徴を獲得していた事から考えると、水中生活で獲得したのは、言葉による高度なコミュニケーションを可能にする多彩な音域を持った声帯と考える方が妥当であろう。もちろんこの形質の獲得がゆえに、ヒトのみが音声によるコミュニケーション能力を更に発達させ、ついに言葉を話せるようになったと考えられる。