縄文アメリカ人

最近の研究からは、明らかにアメリカ大陸に最初に移住したのは、北東アジア人ではなかった。氷河の回廊が開く前にアメリカ大陸に到達したとすると、経路は「海」意外にない。
つまり、アメリカ大陸の真の発見者も、海洋民族だったのだ。その中でも、有力候補として、挙げられているのが縄文人である。縄文人が、アメリカ大陸に渡っていたとする仮説は、1970年代にスミソニアン協会のエバンス博士夫妻が、発表した。南米、エクアドルのバルディビア遺跡から出土した土器の文様が、日本の縄文土器とそっくりと言う事から、縄文人太平洋横断説が導き出されたのだ。
あまり知られていないが、縄文人が黒潮に乗った場合、意外に速い速度で、太平洋を横断し、約3ヶ月前後でアメリカ大陸に行き着く事が出来る。更に首尾よく赤道反流に乗り移れば、エクアドル付近の海岸まで動力なしでも到達可能なのだ。
エバンス博士らが、バルディビア土器と最も似ていると比較に挙げた縄文土器は、阿高式と曾畑式で、何れも九州の日本海側「有明海沿岸」で発見された土器である。エバンス博士らは、縄文人が太平洋を横断したとすると、宮崎などの太平洋沿岸にも似た土器があるはずだと探し回った。しかし、当時の宮崎では縄文土器すら探す事が出来なかった。
太平洋側から似た土器が見つからないと言う事は、長い間「縄文人太平洋横断説」のネックとなってきたのだ。しかし、最近の調査で意外なことが判明してきた。宮崎県内各地で、曾畑式土器が発見されていたのだ。宮崎県では、体系だって縄文研究が行われていない上、展示などもされていないので、発見された縄文土器は、ダンボールで倉庫に保管されているような状態で、誰の目にも触れてこなかっただけなのだ。
しかし、最近やっとこのような状態もNPOを中心に改善されつつある。その結果、宮崎から出土した曾畑式土器等が、目に触れる機会が出て来た。更に、バルディビア土器よりかなり古い年代になるが、縄文早期の跡江貝塚から出土した土器も、バルディビア土器と共通する文様が数多く見られる。
跡江貝塚は、ちょうどエバンス博士夫妻が縄文土器を探して宮崎を訪れている頃に、地元の高校生により発見されている。跡江貝塚は大淀川を数キロ遡った、まさに太平洋への玄関口に位置している。太平洋に乗り出すには、まさにうってつけの場所なのだ。宮崎の縄文土器とバルディビア土器の関連の研究は始まったばかりだ。これからの、研究次第では、縄文人が太平洋を横断した有力な証拠になるかもしれない。
縄文人が太平洋を横断し、アメリカ大陸に到達していた事を示す証拠は、別の研究からも挙がってきている。南アメリカのインディオの一部の人々の持つDNAタイプが、アイヌ人などと共通している事がわかってきた。更に、ズビニ鈎中と言う寄生虫の研究や病気の研究等からも、縄文人等の古モンゴロイド集団が、船で太平洋を横断した事が、明らかになりつつある。
はたして、縄文人はアメリカ大陸の新の発見者だったのだろうか?実は、話はそう簡単ではないのだ。意外な、特徴をもった人々の骨が、最近ブラジルから大量に見つかったのだ。しかも、これらの人骨は、ケネウィックマン以上に古い物である可能性が出て来た。