kitombo.com | カルタゴ皇帝ゴンの世界 | 2006年12月4日
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カルタゴ皇帝ゴンの世界
「邪馬台国と製鉄−15. 筑後川」

カルタゴ皇帝ゴン
12月4日

 実は、これまで述べた加算読みは、魏志倭人伝の記述に正確には沿っていない。魏志倭人伝では不弥国から先の投馬国までは、南に水行20日となっているが、不弥国は、博多の東の宇美町あたりと推測されるので、南に水行することができない。したがって先ほどは一旦博多湾に出て、関門海峡を越えて南水行したと考えた。
 果たしてこの考えは正しいのだろうか。投馬国を大分以南に見立てると、確かに相対的には、南水行になるが、関門海峡までは、南水行どころか北東に進むことになる。さらに博多湾に出るためには、奴国の方向に向かって、100里ほど陸行で戻らなくてはいけない。これを無視して良いのだろうか?
 そこで、改めて地図を見直しているうちに、川の存在に気づいた。なんと、九州北部を流れる大河・筑後川の支流、宝満川が北の方向に伸びているのだ。更に、豊満川につながる細い水路が、宇美町のすぐ南側、大宰府辺りまで確認できるではないか。
 魏志倭人伝には、水行と書かれているが、海とは書かれていない。もし、水行を川を船で下ると仮定すると、筑後川の支流を南に下って、筑後川の本流に出ることができる。さらに、筑後川本流を南西にくだり、有明海に出たのではないだろうか。

 こう考えると、魏志倭人伝の記述に矛盾は生じなくなる。すると、投馬国は有明海に面した場所にあることになる。更に地図を探して見ると筑後川の下流域に、下妻と言う地名がある事に気づいた。現在の地図では、見当たらないが下妻があると言う事は、妻と言う地名もあったのだろう。そうすると筑後川下流域が投馬国であったのでは無いだろうか。
 確かに、筑後川下流域まで川を下るのに20日を要するだろうかと言う疑問もあるが、不弥国から直接水行するためには、このルート以外に考えられない。狭く曲がりくねった水路を航行するのには、意外と時間がかかったのかもしれない。
 では投馬国から先は如何だろうか。まず、南水行10日で、鹿児島県南部まで行き、そこから、九州を横断したのでは無いだろうか。九州を横断する必要があったので、陸行1月が、有ったのだ。そうすると、その九州横断経路には、霧島連峰、高千穂の峰が存在するではないか。これこそ天孫降臨のルートそのものでは無いだろうか。北部九州から宮崎平野に至る九州横断ルートが確立していたのだ。
 つまり、魏志倭人伝の記述を、素直に記述通りシンプルに読み解くと、宮崎平野に到達可能なのだ。
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