○夜の星空

私の名前はジョゼフィーヌ、どういうわけか、不思議な縁があって茂在寅男先生(ドクター・モーゼ・トーラ)とそのお仲間の勉強会に飛び入り参加させていただくことになりました。その内に私自身、すっかりお熱を上げてしまいました。こんなことって、私の場合、あり得ないことなのです。いったい、何に引かれたのでしょうか。
一つ気になったことがあり、質問させていただきました。
「先程、古代人は夜も航海することがあったと仰いました。右も左も判らない、真っ暗な闇の中を航海する時、やはり、何か目印になるものがなければ、進むも引くもできないと思うのですが、古代人は夜の海を航海する時、何を目印にしたのでしょうか。闇雲に突っ走ったわけではないと思いますが・・・」
すると三神さんが声を落として言いました。低く、落としているわりには、どこか、声が上擦っているようでした。
「ミス・ジョセフィーヌ、われわれは都会生活に慣れ過ぎました。あまりにも文明的な暮らしに慣れてしまい、いつも明るい環境の中にいないと不安になります。そして、真っ暗な闇の中に放置されるとたちまちパニック状態に陥ってしまうのです。しかし、ミス・ジョセフィーヌ。その時はどうか、顔を上げて上を見て下さい。空を見て下さい」
「星があるから、と仰りたいわけですね」
「辺りが漆黒の闇になればなるほど、わずかばかりの星の明かりでも、こうこうと光り輝いて目に眩しいくらいです。そういう経験をしたことがありませんか」
「都会にいると全然意識しないのですが、田舎に行くと星がよく見えますね。夜になると星しか、見えなくなるというのであれば、人間誰しも否応なしに星を見ることになりますね」
○北極星とオリオン座
そういいますと、三神さんは、どこかぎこちない雰囲気で頷きました。そして、さらに言葉が続くのです。
「星が見える。星しか見えないわけですが、星は動いています。動いているように見えるわけです。地球が自転しながら公転しておりますから・・・しかし、ミス・ジョセフィーヌ、動かない星があるわけです」
「判ります、北極星ですね?」
「イエスです、ミス・ジョセフィーヌ」
すると、ドクター・モーゼ・トーラさんが「その先は私が引き受けましょう」と言いながら、ぐいと身を乗り出して来ました。お若いですね、こちらの先生は。
「皆、動く星ばかりなのですが、北極星だけが動かない。動かないからこそ、北極星が基準になるわけです。つまり、方位方角の原点になり、神様ではないかと崇め奉られるようになったのです。ただし、これは北半球の場合です。南半球になると、北極星の代わりに南十字星が基準になってきます」
「それは私も知っています。そして、南十字星というのは西洋人の言い方であり、北極星と同じ星の形、星の輝きをしているのにキリスト教の影響があるのかもしれませんが、西洋人の目には十文字、十字架の形に見えるために南十字星と名付けられたと伺いました」
するとまたまた、ドクター・モーゼ・トーラは感動し、喜悦の声を上げて私の手を握りしめるのでした。
「ミス・ジョセフィーヌ、あなたはよく知ってますね、随分、いろいろなことを勉強しているようですね。感動しました、当然、中国語では何と呼ばれているか、ご存じでしょうね」

(うむ、この先生、意地悪です。褒めておいてから私を罠に掛けて楽しんでいるのです)
「・・・・・・・・・」
「あれ、ご存じない? 中国の古い文献を見ますと『箱の星』と書いてあります。真四角な箱型の星だというのです。西洋人と中国人の目には共通するところがあるようですね。縦の方向と横の方向があることを表現しているわけです、南十字星という表現も箱の星という表現も縦横の組み合わせですから」
「あっ、なーるほど、なるほど・・・縦横の線の組み合わせを表現しているということですね」
その場に居合わせた大地舜さん、鈴木旭さん、権藤正勝さん、そして、三神たけるさん、いずれも声を揃えて感動の声を上げたのであった。まるで舞台劇を観ているようでした。そうして感心していると権藤さんが口を開きました。
「北極星とか、南十字星は動かない星ですから判りやすいのですが、その他に目印にした星はないのですか」
「おお、いい質問です。実はあるのです。古代の船乗りが最も重要視したのはオリオン座の三ッ星です。大きな巨人を表す星座として認識されているのですが、その映像から言えば、ちょうど腹帯のところが三ッ星になっています。その三ッ星の出るポジションが真東であり、没するのが真西なのです。それからオリオン座の見える角度によって、船の浮かぶ場所の緯度が判る仕組みです。たとえば、真南に来た時は水平線から三ッ星までの高さの角度で緯度が判る」
権藤さんは大変、納得したようでした。
「三ッ星の出るのが真東で、沈むのが真西。とても判りやすいですね。しかも、見える角度で緯度が判る。すると、これも北極星と同じように方位基準として、先程の茂在先生の表現に従えば神様として認められるわけですね」
「はい。ですから、三ッ星そのものが特別に神様として崇め奉られるだけでなく、三ッ星に関係のあるものが次々に作られて行ったのではないかと思っています」
ドクター・モーゼ・トーラが、そう言って一息を入れようとしたところ、今度は鈴木旭さんが勢い込んで前に出て来ました。
「お待ちください。先生はいま、三ッ星そのものが特別に神様として崇め奉られるだけでなく、三ッ星に関係のあるものが次々に作られて行ったのではないか、は仰いました。すると佛教も神道もキリスト教もユダヤ教も皆、三神信仰を持っていますが、何か、関係がありますか」
「大ありです。しかし、その答は明日に回しましょう」
さすがに先生はお疲れのようでした。皆さんも随分、お元気のように見えてお疲れのようでした。