萬亀眼鏡の東京散歩
「19歳の奈良」
飯森好絵
2月24日
雲がどんよりと低く垂れ込め、冬を強く感じる。これは寒いなぁ、と手袋をはめ、奈良公園を横目に、会議を開催するホテルへ急ぐ。月に2度ほど、京都や大阪で編集会議を行なうのだが、今回はめずらしく奈良で開催することになった。久しぶりに奈良に行く、という興奮と、日程の関係上、奈良で散歩ができる予感がして、いつも感じる会議前の重苦しい気持ちが少し、軽くなったような気がしたのもつかのま、余りの寒さに背は丸まるばかりである。杞憂はいつも杞憂に終わる。そして、仕事は無事終わり、散歩も楽しくできる。これが心配性の日常だ。
そして、翌朝、念願の奈良散歩である。奈良はいつ行ってものんびりとした良い気持ちになる。けばけばしさがないところがそういう気持ちを引き出すのだろう。前日のどんより雲がどこかに行ってしまい、青空がみえ、気温も上がったようだ。見るところがいっぱいあって、どこにいっても満足するだろうが、名物の柿の葉寿司を購入していると、なんとなく、学生時代に歩いたコースを改めて回ろうという気になった。
まずは近鉄奈良駅の隣の新大宮駅で降りる。そこから、向かうは海龍王寺。門をくぐると見える土塀は相変わらず少々崩れ、小さい戸口には小さい受付があり、親切そうな若い男が座っている。こんにちは、と声をかけ、拝観料を渡して入る。人は誰もいない。開けっ放しにされた本堂に、いろいろなものが転がっている雰囲気も変わっていない。「重要文化財がごろん」とほったらかしにされているという感想をもった記憶がよみがえる。あのときも自分たちのほかには人がいなかった。絨毯の敷かれたお堂に上がり、なにやら、いろんなものを眺めた。そして、何かを持って帰っても分からないね、と笑ったものだ。と現在、回りを見回すと、警備会社のステッカーが貼ってある。無造作に並べているだけの無邪気さが許されないのは当然だろう。この寺には国宝があるのだ。西金堂の中に配置されている五重塔の模型で、これは、天平時代の建築技法をよく伝えるものとして国宝に指定されている。それだって、格子ははめてあるものの、開けっ放しの堂に置かれてあるのだから、ガラスケースに入れて過保護にされているものとはちょっと違う。
しばらくは格子に前のめりになって、塔を眺めていたのだが、塔の白壁が、がりがりと釘か何かで削られたようになっている表面を見るにつれ、昔は人が自由に触れるようにしていたのかもしれないなぁと思うと、この格子も邪魔に感じられ、興ざめしてその場を離れた。
次の目的地は法華寺である。ここはあくまでも、おまけ的な気持ちで訪れる。千人の垢を流し、膿を吸い取った光明皇后が始めた由緒ある国分尼寺なので、「おまけ」は失礼なのだが、由緒と好みは別物なのだ。
そして、平城宮跡をふらふらと歩く。日の光がやわらかく、暖かい。平城宮跡の向こうには、学生時代には気づかなかったのだが、昔ながらの民家を望むこともできる。ここも散歩道として通るだけ。さまざまな基壇をたどったり、資料館を見たりすることもできるので、ここだけでもかなり楽しめるのだが、ここも通り過ぎる。
なぜなら、わたくしの最大の目的は西大寺駅を越えた先にある秋篠寺にあるからだ。そこにつくまでの道はワープしないまでも、関心ごとから外れているのだから、さっさと通ることを許して欲しい。
目的の秋篠寺には、わたくしが最も美しい像の一つだと信じている伎芸天がある。ふくよかな顔にくらくらする。脇から暗い本堂に入る。一番左端にあるのが伎芸天だ。誰も入ってこない。まずは、遠くから、壁際に置かれている長椅子に座り、じっくりと拝む。重たい荷物を椅子に置き、像に近づく。右から左から眺めつくす。目が顔の線を追う。口の端、小鼻、まぶた、そして頬のふくらみ・・・。いくら見ていても飽きない。伎芸天は芸事を精進しようとする人の祈願を受ける。19歳のときは、美術関係の何かに通じようとお守りを買い、今回はリコーダーをマスターしようとお守りを買った。そして、今では美術とはちっとも関係ない分野で生きていることに改めて気づく。お寺や像は変わらない、ようにわたくしの目には見える。わたくしの本質も変わらない、はずだ。でも、何かが違う、と思った午後だった。
この旅の後、わたくしは、病院を訪ね、要自宅療養の診断書をもらった。自分を見つめなおす第一歩が実は奈良から始まっていたのだ。19歳の夏も憂鬱だった。
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