
日本の近代化を語るとき、必ず登場する人物である渋沢栄一の出身地である深谷に行った。
深谷には「東京駅」がある。東京駅を作るのに使用された構造用の煉瓦は8332000個、外装に使われる化粧煉瓦は934500個。そのうちのほとんどが、深谷にある日本煉瓦會社(現・日本煉瓦株式会社)によって製造された。それを記念して、深谷駅は東京駅を模しているのである。最近のわたくしが追っているテーマの一つに近代化遺産があり、「煉瓦」に関するものはその中でも特に興味を持って見て回っているものだ。
日本煉瓦會社は深沢栄一の誘致によって深谷に設立され、ドイツ人技師ナスチェンテス・チーゼの指導により、日本人が煉瓦を焼いた。現存するホフマン窯は重要文化財に指定されている。ホフマン窯は、当時のハイテク機器とも言え、ドイツ人技師ホフマンが考案したものだ。真ん中に高い煙突が立ち、その周りをぐるりと窯が囲み、連続して煉瓦を焼くことができた。
本当は、この会社の資料館や、窯を見学したかったのだが、あいにく、土日祝日はお休みなので、深谷の町を一日堪能する会を持った。
奇怪な「東京駅」に出迎えられ、1996年に施行された「深谷市レンガのまちづくり条例」によって奨励金を交付されて作られたと思われるレンガ調建築を目にし、第一印象は、テーマパーク的なものを感じたのだが、町中に入って行き、旧中山道沿いの昔ながらの煉瓦建築を眺めていくにつれ、その印象は急に磁場に近づいた磁石のように、急回転した。
この町はかつて繁栄したのかもしれないが、現在は、普通の地方のさびれた町のように見える。何しろ、休日の午前中、店は開いているのに、町を歩いている人がいない。車が時折通るだけ。商店街には、スピーカーから流行の音楽が誰も聞いていないのに流れている。「昭和で時が止まった」、というのが今回の散歩のコピーとしてしっくりくるような、そんな町だ。

ようやく、昼過ぎになり、人が出てきた。商店街の喫茶店に入ると地元のおじさんたちの溜まり場になっていて、テーブルをまたがって、おしゃべりしたり、スポーツ新聞を読んだりとくつろいでいる。向かいの「草もち」と看板に書かれた菓子屋は、たいそう流行っていて、自転車に乗ったおばさん連れや、家族連れが続々とやってくる。
のんびりとした時間の流れに慣れてきた頃、町の魅力がしみじみと体にしみこんできた。
現在も現役で使われている煉瓦建築は旧街道にありがちな、カーブ沿いにひょいと現れる。有名な商店や酒屋の建築物は、いまどき、うだつまでも煉瓦つくりで、さすがによく手入れされている。そして、あちらこちらに、垂直なところがまるでない、少し崩れかけた煉瓦の家屋がちょこんと鎮座している。通りの脇には、人ひとりしか、通れないような、まるで私道のような細い道があり、その街灯にも、町の銭湯や菓子屋の宣伝が古めかしく書かれている。通りを一本入ったところの、現在は、使われていないと思われる木造の蚕種工場が時代がかっている。
わたくしは、タイムスリップしたような錯覚に陥った。正確に言えば、煉瓦製造や養蚕が花形産業だった時代や、高度成長期以前の昭和を知っているわけではない。多分、本やテレビでみた何かに似ている、と思ったのかもしれない。とにかく、わたくしが住んでいる東京や観光都市にない、何かを感じたのだ。地域資産である煉瓦建築がきちんと活用されていて、観光化されていない素朴さがきっとわたくしの心を捉えたのであろう。