ワインの本を読んでいたら、次のような記述に目が止まり、興奮して本を取り落としそうになった。
5世紀末、フランク族のクローヴィスが、ガリア(フランス)を統一しようとしていたときのこと。
アラマン族との戦いに苦戦していたクローヴィス王に対し、后が「わたしの信仰するカトリックの教徒になれば戦いは勝利するでしょう」と進言した。無信仰だったクローヴィスではあったが、時のランスの大司教だったレミギウスを呼び、「勝てばキリスト教の信者になるが、負けたらおまえの首を取る」と脅かしつつ、神のご加護を頼んだ。すると、戦況は一気に好転し、大勝利を得た。
そこで、クローヴィスは約束どおり、戦いに加わった部下3千人を連れて主都ルテティア・パリシオルム(現在のパリ)からランス大聖堂に赴き、洗礼を受けた・・・・・・。
記述は、このあと、司教はワイン好きで洗礼にはシャンパーニュのワインが出された云々、いう話につながるのだが、気になったのは“ランスの大聖堂に祈願した”というくだりだ。
えーっ、ランスにはすでに5世紀に教会があったの? 勝利を導くほど力があったの? パリから洗礼を受けに行ったの?
興奮したわけは、以前シャンパーニュを訪れたときから、ランスの大聖堂のことが気になっていたからである。
ランスというのは、シャンパーニュ地方の中心都市で、パリからは電車で1時間半くらい。以前書いたモエ・エ・シャンドンのあるエペルネに比べればぐんと大きい街である。
市内には、テタンジェとか、パイパーエドシック、藤田嗣二が壁画を描いたG・H・マムなどの有名シャンパンメーカーがあり、わたしはこの町でもたくさんシャンパンを飲んだ。先のワインの本で言えば“洗礼でシャンパーニュのワインを飲んだ”とはあるが、この時代はいわゆるわたしたちが知っている発泡性のシャンパンは発明されていないので、ただのワインだったはずだ(シャンパンができたのは17世紀のこと。ま、日本でも昔はどぶろくで、清酒が飲まれるようになったのは江戸時代、みたいなものですね)。
それはさておき、ランスの大聖堂。
これは13世紀に建てられたゴシック建築で、世界遺産にも指定されているほどの傑作とされている。正面の壁面には2000を超える彫像が彫られており、ほかにもシャガールのステンドグラスも有名。ま、個人的には、西洋人ってなんでこんな装飾過多なものを作りたがるのだろう、こういうのが有難いのかなぁと神社好きには疑問符の建物だが、関心があるのは、なぜランスの大聖堂がこれほどに力を入れて作られ、大切に信仰されてきたか、ということだ。
隣接して宝物館があり、そこに、戴冠式の間というのが保存されている。フランスでは、歴代国王は、1825年までここで戴冠式を行っていたのだ。1429年のシャルル7世の戴冠式には、ジャンヌダルクも列席したという。
いうまでもないが、フランスの首都はいまも昔もパリだ。それがなぜランスまで足を伸ばしているのだろう。なぜ、わざわざランスで戴冠式を行わないといけないのだろう。
これが、以前シャンパンを飲みに入ったときの疑問だった。
それに加えて、今回の本の話。これは5世紀のことである。現在のランス大聖堂だって、教会建築では相当古いものだが、それが5世紀にすでに教会があり、そこへ祈願すれば効き目があるとたくさんの人が信じているほど権威があったということである。
わたしの関心にさらにかきたてたのが、現地で手にしたパンフレットに、ランスはもともとケルトの聖地だったという一文。そこで思い出したが、その前に行った、やはり世界遺産に指定され、フランスではもっとも聖なるシャルトルの大聖堂もまた、もとはケルトの聖地だった。
先住民の聖地の場所に先住民を取り込むために教会を建てるというのは、手法としてはありだが、その地に国王が必ず参拝し、戴冠の儀式を行うのである。戴冠式のためにわざわざパリから足を伸ばして来る、というのは、この土地に特別な力がある、もしくは来なくてはならない契約がある、とは考えられないだろうか。
そして、その原点は5世紀にまで遡るのだ。
クローヴィスによるフランク族の戦いが、なぜ、ランス大聖堂に祈願したら一気に状況が好転したのか。それは、神に力があったのか、それとも、その周辺にいた部族の後押しがあったからではないのか。
そこで連想するのが、神武東征で大和の地に入った神武天皇が、三輪山の娘と結婚して即位した、という話。
まだ、何が問題点なのかも明確ではないが、このあたりのところを調べてみたいと思い、これからその経緯を随時ご報告していきたいと思う。何かおもしろい話が出てくればいいのだけれど…。