ブルターニュ地方への旅
巨石遺跡が好きになって、20年以上になる。きっかけは飛鳥の石造物だったと思うが、以来、仕事にかこつけては各地の巨石を見に行ってにんまりしている。
それがこうじて、フランスのブルターニュ地方へ行った。
ブルターニュというのは、パリの南西、大西洋に突き出た半島部の地方である。地名の語源は、英語のブリタニー。つまりブリテン、英国ということであります。
ヨーロッパの先住民であったケルト人が、日本でいえば縄文人が渡来系の弥生人に追いやられて辺境へ追い詰められていったごとく、ケルトも中央ヨーロッパから周辺へと追いやられ、ついにドーバーを越えて、イギリスの島に渡った。 が、その後、幾分勢力を取り戻した彼らは、5世紀に再び海を渡り、大陸に戻ったのだ。だから、自分たちが住んでいた土地グレート・ブリテンに対して、流れ着いた半島一帯をプチ・ブリテンと名づけて、ブルターニュと呼ばれるようになったのである。
だから、ブルターニュというのは、フランスではあるがあまりフランスっぽくない。
わかりやすいところでは、フランスといえばワインだが、この地だけは気候が寒くてぶどうができず、ワインが生産されていない。代わりに何があるかといえば、りんごから作ったシードルという酒。微発泡の薄味ワインといった味だ。そして、郷土料理の代表は、そば粉のクレープだ。
ね、リンゴとソバ、ですよ。
いかに、寒くて土地が貧しいか簡単に想像できるでしょう。農業大国フランスにあって、ブルターニュだけは、その恩恵をこうむっていないんですね。
したがって、ブルターニュの冬は寒い。雨が多い。旅行シーズンとしては最悪。でも、そんな12月の初めに、行ってしまいました。
だって、大好きな石の遺跡があるのだもん。
ブルターニュ地方には、イギリスから渡ってくるケルトのずっと前に、もともとのケルトもいて、彼らは環状列石やらドルメンやらいろいろ不思議な石造物を数多く残しているが、その代表的なものが、カルナックというところにあるのだ。紀元前3〜5世紀に作られたとされるが、いまだにだれがどのように何を目的として作ったのかはいろいろな解釈があるものの不明である。
ま、わたしは解釈もさることながら、ただただ、見たい、のだ。なんかいいんだよね、石って。
というわけで、冬の日本海のようにどんよりと重たい鉛色の雲が覆っていた超寒い冬の朝、わたくしたちはカルナックを目指したのでありました。
カルナックの巨石遺跡へ
カルナックへ向かう基地として泊まっていたのは、ヴァンヌという街。ここも城壁に囲まれ、ハーフティンバー様式の中世の家並みがそのまま残っている石畳のそれはそれはかわいい町だが、まぁ、それは置いといて、ここからカルナックへは直通の便がなく、電車かバスでオーレイという駅まで行き、そこからバスに乗り換えて行く。
さてさて、ようやくたどり着いたカルナックの町はまるで死んだように活気がなかった。とりあえずツーリストインフォメーションを目指したのだが、オフシーズンとあって、なんと閉鎖されていた。情報も欲しかったが、ここで自転車を借りる予定だった。なにせ、古代遺跡というのは範囲が広いのに、交通機関がない。飛鳥でも吉備でもそうだが、こういう場所は自転車で回るのがいちばんなのだ。が、ほかにもあるはずのレンタサイクルの店もみんな閉まっている。とにかく、ゴーストタウンのようなありさまなのだ。
こうなったら仕方がない。めちゃめちゃアバウトなガイドブックの地図だけをたよりに遺跡と思われる方向に歩き始めた。
普通の住宅街をひたすら歩いていくと、突然それは現れた。
いやぁ、思わず固まってしまった。もうすごい興奮。言葉もなくただしばらく立ち尽くした。一体何なんだろう。この列は。この規模は。
カルナックの遺跡は、細長い石を地面に垂直に立ててあるのが、延々数キロにわたって延びている。高さは2mのもあれば、30cmほどのまで、でも一定間隔で延々と並べてある。右を見ても、左を見ても、ずーっと遠くまで石の列が延びている。
わたしは、幸せだった。こんなに不便で、寒くて、面倒な場所にはるばる日本から来た物好きの甲斐があったというものである。
だからここでやめておけばよかった。だって、冬のヨーロッパは日が短いし、空からはぽつりぽつりと雨が降り始めていたから、ここまでたどりついた道のりを考えればもう帰ることを考えた方がいい。
ところが、ここで見つけてしまった。ビジターセンターで、もっと巨大な石の写真が出ていたのだ。一緒に写っている人の倍以上あるから高さは5mはある。刃物のようにするどいフォルムで地面から突き出ている。
実物を見たい!
ビジターセンターで行き方を教わり(ここでも地図はなかった)、歩き始めたのはいいのだが、古代遺跡というのは恐ろしくでかいのだ。歩いても歩いてもそれらしきものは現れない。道を聞こうにも、人っ子一人いない。
そんなとき、神のめぐみのように、一人の女性が自転車に乗ってやってきた。彼女は遺跡の研究しているらしいのだが(そういう人しかこの時期、こんな天気の日にやってくるわけがない)、なんとか道を聞くことが出来、それはまだまだ先にあることが分かった。 そして、教えられたとおりに行くと、あった!!!
巨人のメンヒルと呼ばれるそれは、幅は両手を広げて余るほど。高さは背の3倍。深い森の中で、天に向かって屹立している。なんだかとにかく興奮して、感動して、満ち足りた気分だった。が、幸せな時間はすぐに終わった。
さきほどまでしとしと雨だったのが、次第に強くなってきたのだ。空はもう真っ暗。ゴジラが出てきそうな不穏な空だ。
帰り道はただただ耐えるだけの時間だった。何もない原っぱのなかを歩いていくのだから、ひたすら雨に濡れるだけ。傘は持っていない。ゴアテックスのコートを着て、フードをかぶり、うつむきながら黙々と歩を進めるのみ。
何がつらいって、この状況が後何時間も続くことが確実にわかっているからだ。往きは先に楽しみがあるから歩けるが、帰りはもう楽しいことは待っていない。
わたしたちは、明治時代にあった冬の八甲田山を踏破する行軍の話しを思い浮かべ、映画で使われていた♪雪の進軍氷を踏んでぇ〜という歌をやけになって歌った。寒さと疲労とまだまだ歩き続けなければならない無力感におそわれて、ナチュラルハイになってきている。
そうして歩きつづけること全部で5時間。靴はぐちょぐちょと音を立てるほど水びたしになり、手足は感覚がないほど冷え切っていた。
かろうじて凍傷はまぬがれたものの、この苛酷なカルナックの1日を、「雪の八甲田山死の彷徨」になぞらえて、わが家では「雨のカルナック死の行軍」と呼び、長く語り継がれている。