kitombo.com | 三神たけるのお伽秦氏 | 2003年1月13日
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三神たけるのお伽秦氏
「鏡餅(前編/餅)」

三神たける
1月13日

 縄文時代の大規模集落跡で知られる三内丸山遺跡に、このほど、本格的な資料館「時遊館」が完成した。出土物はもちろん、土器製作の体験コーナー、それに映像館など、充実した施設となっているという。
 噂に聞きし、時遊館。さて、実際はどのようなものか。今回、帰省をかねて、この時遊館を訪れてみた。確かに、それまでのプレハブのような展示室とは比べ物にならないくらい立派な作りになっており、満足度は大である。
 だが、筆者の心をもっとも動かしたのは、縄文土器でもなければ、ヒスイの玉でもない。ましてや、立派なビデオでもない。
 鏡餅である。訪れたのが1月2日だったこともあって、館内には注連縄や鏡餅が飾られていたのだが、売店の側にあった鏡餅は、実に驚くべきものだったのだ。
 なんと、リンゴが載っているのだ。2段に重ねられた鏡餅の上に、本来ならあるはずのミカンがなく、代わりに真っ赤なリンゴが鎮座ましまていたのだ。
 思わず、なんだこりゃ、である。地元、青森の特産であるリンゴをアピールしたジョークなのか。聞けば、なんでも青森県が先頭となって、鏡餅の上にリンゴを置こうというキャンペーンを張っているのだとか。
 いやはや、なんとも。いったい、青森県人は鏡餅の上のミカンを何だと思っているのだろうか。餅の上に載っている、たんなる果物としか認識していないのではないか。同じ果物なら、地元の特産品であるリンゴを置かない手はないと思ったのだろうか。だとすれば、やりきれない思いを抱かずにはおられない。
 そもそも、鏡餅とは「鏡の餅」という名の通り、神社に奉納されている鏡になぞられている。神社のご神体ともいうべき鏡は、光を反射することから日輪を示し、ひいては太陽そのものの象徴となっている。
 では、なぜ餅なのか。民俗学的には、餅を食べることによって、体内の魔物を出さないようにするだとか、粘り強く生きる、すなわち長寿を願うものだとかいわれる。
 が、どうして正月なのかという明確な答えは、意外に出ていない。
 その一方で、日ユ同祖論では、かねてから餅は「マツォ」であると指摘されていた。マツォとは、種を入れないパンのこと。種、すなわちイースト菌を入れないから、膨らまない。インドのナンのようなものだ。麦で作ればパンだが、米で作れば、餅である。マツォの実際の発音は、「モチ」と聞こえる。
 ユダヤ人はユダヤ暦でいう年越しと新年にかけて「過ぎ越しの祭り」を行う。このとき、彼らはマツォを食べるのだ。これは正月に餅を食べる日本の風習とまったく同じものである。しかも、ユダヤ人はマツォを食べるとき、必ず3つに割って食べるのだ。ヴァンミーター美子氏は著書『幻の橋』の中で、3つに割られたマツォは、御父と御子と聖霊、すなわちキリスト教の三位一体を表現しているともいう。
 日本の餅のルーツがユダヤのマツォならば、鏡餅が三段である理由も、3つに割るマツォの儀式に由来しているのかもしれない。つまり、鏡餅そのものが三位一体の神を表現している可能性がある。
 正確にいうと、2枚の鏡餅と、その上にある1個のミカンが御父と御子と聖霊の象徴となっているのだ。
 となると、改めてミカンの存在意義が大きくクローズアップされてくる。どうして鏡餅の上にはミカンが載っているのだろうか。
 次回は、この謎について迫っていきたいと思う。
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