これもまた、呪術の成果か。いまだ衰えぬ陰陽道ブーム。今年も映画『陰陽師2』で、安倍晴明が大いに盛り上がりそうである。
だが、数年前のブームと比べると、少し雰囲気が違う。恐らく、ファンの方々の目が肥えてきたのだろう。インターネットの世界でも、学者顔負けの議論が交わされている。おかげで、陰陽道がより深く理解されてきているといっても過言ではない。一時の安倍晴明さまブームにはなかった厚みが出てきたように思われる。
そうしたなか、多くの人に注目されているのが四国は高知県、物部村に伝わる「いざなぎ流」である。いざなぎ流とは、陰陽道祭祀のひとつ。民俗学者の小松和彦氏によって紹介されて以来、呪いのイメージが強くなったが、実際は、数珠占いや米占いなどといった占術も含む陰陽道呪術の一群といったほうが近い。紙を使った独特な人形や神懸り神事、それに祈祷などの形態は、陰陽道本来の姿を残していると指摘する研究家もいる。
だが、筆者が注目したいのは、村と村人である。村の名前が物部村とは、いかにも意味深である。近くの物部川から名前を取っただけで、古代豪族の物部氏とは直接関係がないとされるが、はたして、そうだろうか。四国には物部氏が多数勢力を伸ばしており、物部神社もあるくらいである。名前の由来が川名だからといって、この村に物部氏が無関係というのは早計ではないだろうか。もちろん、これといった確証があるわけではない。ただ、村人の多くが「小松」姓を名乗っているのが、非常に気になる。
小松和彦氏も物部村を訪れたとき、自分と同じ小松姓の人が多いことに驚いたという。村人の半分くらいは小松姓ともいう。当然ながら、陰陽道祭祀いざなぎ流を保持してきたのもまた、小松氏であった。ということは、もっと小松氏が注目されていいと思うのだが、いかがだろうか。
さて、ではいったい小松氏とは、何者なのか。伝承によると、小松氏の祖先は中国系渡来人で、その祖先は秦始皇帝であるという。村の氏神である小松神社の祭神は不祥とはいうものの、どうやら秦始皇帝らしい。
祖先が秦始皇帝となると、気になるのは、やはり秦氏である。小松氏は秦氏なのではないだろうか。小松氏の「小松」とは、一説に「高麗津」ともいう。高麗というあたり、朝鮮系渡来人を連想させる。が、というよりも、秦始皇帝の末裔で、応神朝に秦氏を率いてきた弓月君以前に、垂仁朝に渡来してきた功満王にちなむ「功満津」の可能性もある。もし、そうならば、小松氏は秦氏と同族であると考えていい。
もともと秦氏は数多くの陰陽師を輩出してきた。賀茂氏や安倍晴明も、みな秦氏の血を引く者たちである。いざなぎ流を伝える小松氏が秦氏であっても、何の不思議もない。というよりも、きわめて自然なことである。
そうなると、だ。改めて問題となるのは、物部村という名前である。秦氏が住んでいるのに、物部村とは、これいかに。かつて日本の神社のほとんどは、物部氏が仕切っていた。それを乗っ取ったのが秦氏である。現在、全国の有力な神社はすべて秦氏の支配化にあるといっても過言ではない。しかして、陰陽道呪術を原初の形で伝える物部村も、実は、もともと物部氏の支配地で、ここに秦氏がやってきたのではないだろうか。これは、ひとつの仮説であるが、物部村とは物部氏の呪術を伝える村であり、それを陰陽道をもって吸収してしまったのが秦氏だったとしたら、どうだろう。
恐らく、ここには秦氏によって封印された重大な何かがあるのではないだろうか。いざなぎ流の本当の目的。それは、外に向かってではなく、内に向かっている。大切な何かを封印するのが真の目的のように思われてならない。