三神たけるのお伽秦氏
「天神様」
三神たける
11月24日
旅をして思うのだが、日本は、じつに神社だらけだ。どこへ行っても、必ず神社がある。まるで、昨今のコンビニのようだ。いや、コンビニはアスファルトの道沿いにしかないが、神社は山の中、海の中にでもある。まさに、日本列島は神社に埋め尽くされているといっても、過言ではない。日本列島を人体にたとえるなら、全身にお札を貼られているようなものだろう。
そうした神社のなかで、もっとも多いのが八幡神社である。2位は稲荷神社だといわれている。が、稲荷神社は小さな祠も多く、登録されていない社を含めれば、首位に躍り出るともいわれている。3位は伊勢皇大神社だ。
ご存知のように、いずれもルーツは秦氏にある。八幡神社の総本山、宇佐八幡宮は秦氏系の辛嶋氏が創建。稲荷神社の総本山、伏見稲荷大社は秦鱗(伊呂具)が創建したことは、よく知られている。最初の伊勢神宮、笠縫神社が秦楽寺の境内にあり、やはり秦氏が関わっている。
と、ここまでは、いろいろな機会で述べてきたので、ご存知の方もいるだろう。では、4位は、どうだろうか。4位は、天満宮である。総本山は、いうまでもなく京都の北野天満宮である。学問の神様で有名な菅原道真公を祀っている。天神様といえば、普通、菅原道真公を指す。
菅原道真は土師氏出身。直接、秦氏との関係はない。学者によっては、土師、すなわち須恵器は朝鮮半島から伝来したゆえ、土師氏もまた渡来人に違いないという。かつて土師氏は葬祭に関わる祭祀集団だったらしい。その祭祀が神道的な呪術にちなむものであれば、確かに、秦氏と関わってくるかもしれない。
しかし、気になるのは「天神」という名前だ。もともと天神とは、天の神。記紀の冒頭に記された造化三神及び、イザナギ命・イザナミ命に至る神代七代を天神と呼ぶ。
また、天神は天気の神様という意味合いもある。天候を左右する神としての天神。風や雨、そして雷を支配する神を天神と呼んだ。菅原道真も、怨霊と化したとき、清涼殿に雷を落としたことがきっかけで、天神様と呼ばれるようになったのだ。
と、普通は説明される。はたして、それだけだろうか。かねてから、筆者は本当の天満宮の祭神は、菅原道真ではないような気がしてならない。
というのも、天満宮の発祥地が北野だというのがひっかかるのだ。伝承によれば、ある女性に菅原道真の霊が降りてきて、北野で祀れと託宣したのがきっかけであるという。ご神託だからといえば、それまでだが、どこか意図的なものを感じるのは、偏屈な性格のせいだろうか。
実は、ここ北野には、かつて広隆寺があった。現在は、北野廃寺の碑があるのみだが、こここそ、あの弥勒菩薩半跏思惟像を最初に安置した寺。秦河勝が聖徳太子から贈られた仏像を祀った原・広隆寺があった場所なのだ。すぐ近くには、川勝町という地名も残っている。つまりは、秦氏の首長、秦河勝のお膝元だったのである。そこに、わざわざ大魔王、菅原道真を祀るのには、何か深い意味があるはずだ。
しかして、天神である。
北野天満宮を訪れると、その境内に地主神を祀った社がある。地主神とあるように、この社は北野天満宮ができる以前からある。しかも、もともと地元の人は、この神を「北野天神」と呼んできたのだ。いうなれば、本当の天神である。
調べてみると、地主神の正体は火雷神。秦都理が松尾大社に祀った神であり、上賀茂神社の祭神である賀茂別雷命の父親である。早い話、秦氏が祀った神である。天神様も、その表層を一枚めくると、やはり、そこにあるのは秦氏であった。
ユダヤ人原始キリスト教徒の秦氏が祀った天神。その本来の素性をたどれば、きっと天にまします御父に行き着くのではないだろうか。
さて、次回は、この天神をもう少し掘り下げてみたい。天神という名前とは逆に、とっても小さな神の話である。
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