初めての体外離脱はタイ王国の首都バンコックのホテルの1室で経験した。南アフリカに出発する2006年3月初旬の日の朝6時30分のことだ。
私のバンコックにおける定宿マンハッタン・ホテルは古い中流ホテルだが、ともかく便利な場所にある。繁華街のスクンヴィット通り15小道にあり、スカイトレインという高架鉄道の駅にも近い。
この日は、朝から友人とゴルフをして、身体が疲れきっていた。3月のバンコックは酷暑が始まる季節だ。この日も太陽は頭上で白く光り輝き、18ホール歩くのは、かなりの試練だった。
夜には、会食があった。それが終わったのは夜の9時半頃だ。
それからレストランの近くの繁華街パッポン通りに行った。この通りには有名なクラフトショップ『ナラヤ』がある。『ナラヤ』では南アフリカでホームステイする家族のために、おみやげを買いそろえた。
日本からおみやげを買っていくべきなのだろうが、タイで買ったほうがオシャレな品を安く買えるのだ。
タイ王国には35年前から、毎年数回は訪問しているから、訪問回数は軽く100回を越えるだろう。パッッポン通りも昔からおなじみだ。
35年前のパッッポン通りは、ベトナム戦争に従軍していた米兵やオーストラリア兵のための歓楽街だった。ゴーゴーバーがあり、安くお酒が飲めた。現在のこの通りは観光客向けの夜店で満杯だが、当時は、夜店など出ていなかった。だがゴーゴーバーは今も健在だ。
1970〜80年代に日本企業が大量にタイに進出してからは、日本人向けの繁華街がタニヤ通りに生まれた。タニヤはパッッポンから歩いて5分ほどの場所にある。
『ナラヤ』で買い物を済ませた私は、タニヤ通りに向かって歩いていた。
「社長、女の子はどうですか。可愛い子がいますよ」と中年の男がカタコトの日本語で声をかけてくる。手には写真をもっている。マッサージパーラーの写真だ。日本で言うトルコ風呂のようなところだ。この辺りを歩くと5〜6回はこういう連中に声をかけられる。
「いらない」といって、首を振ると男は、「社長! じゃー男の子はどうですか?」と聞いてくる。私は苦笑いをして、手を振っていらないことを知らせる。
タイ王国は男女平等の国なのだろうか、売春婦もいれば売春夫もいる。実は男女平等というよりも貧富の差が激しいことが原因だ。ゴーゴーバーの中のカウンターテーブルの上で踊っているのは、ビキニ姿の娘が普通だが、中には男の子が白いビキニパンツ一つで踊っているバーもある。これは昔も今も変わらない。だが最近、パッッポンでは「シスターボーイ」が増えている。全身整形した男が、女に変身しているのだ。「シスターボーイ」にはセクシーな美人が多い。男の欲望をよく知っているためか、男の心を捉えるのも巧いに違いない。
そういえば息子の友人がバンコックに遊びに来て、「シスターボーイ」に恋をしたことがある。全身整形しているので、普通の人には男であることが分からない。のど仏も整形しているので、男の声ではない。肌も滑らかで美しい。
美人の多い人気のあるゴーゴーバーで働く女性の多くは「シスターボーイ」なのだ。
「シスターボーイ」と本物の女性の見分け方にはコツがあるのだが、ま、それは、一緒にバンコックに行くときにお教えしよう。
タニヤ方向にスカイトレインあるいはBTSと呼ばれる高架鉄道がある。その方向に向かってスリウオン通りを歩いていたら、beerガーデンがあったので、そこで休憩することにした。もっとも道路の脇にウナギの寝床のように設けられた小さな場所だ。
道路の側の小さなテーブルに座った。ここで歩道を歩く人々を観察した。世界中からの観光客がほとんどだ。隣にはロシア人の4人組のカップルが座った。前方にはイタリア娘と思われる4人組が座っている。
親しげなウエイターがやってきて「何、のみますか」と日本語で聞いてくる。日本語を勉強しているのだそうだ。私はシンハー・ビールを注文した。ひとしきり会話をしてからウエイターはイタリア娘の所に去った。
少したつとウエイターはイタリア娘三名をつれて、タニヤの方向に歩いていく。実はビヤホールのすぐ先には、ホモやゲイが集まる通りがあるのだ。ここの通りの店に入ると、中にはボクシングのリングがあって、そこで男達が素っ裸でいろいろなショーをする。性行為も実演するようだ。昔のことだが、もちろん私も中に入ったことがある。だが、一五分も居たら気分が悪くなって、外へ出てしまった。でも、多くの女性客たちは楽しんでいるようで、真剣に見ていた。イタリア娘たちも、そんなバーに行ったのだろうと思う。三〇分もしたら顔を上気させて帰ってきた。
そうそう言いわすれたが、パッッポン通りの2階にあるゴーゴーバーには行かないほうが良い。2階は無法地帯で、ビール1杯3000円もぶったくられる。私は大喧嘩して100バーツ(300円)を床に放り投げて、店を出てしまい、ウエイターから「あんた、もしかして日本のヤクザ?」と聞かれたことがある。
熱心な考古学者なら洞窟の発掘調査をして、そばにも多くの洞窟があったらそのすべてに入って調べてみるだろう。ジャーナリストの私も同じように、どこにでも入って、一応、何があるか調べる習性がある。
さて、ホテルに帰還したのは夜中の12時頃になってしまった。パッキングを済ませて、大きなベットに横たわったのは1時過ぎだ。予定どおり、寝酒のおかげでよく寝たが、朝6時30分には目が覚めた。まだ身体がだるい。昨日のゴルフの疲れと、夜更かしが効いているようだ。
そこで二週間前にモンロー研究所の初心者コースでならった方法で、身体を休めることにした。先週までの連載を参照して欲しいが、まず身体を緩め、「エネルギー交換箱(煩悩収納箱)」と「リボール」を行い、フォーカス10に行ったのだ。そしてフォーカス12を思い出そうとした。
身体がまだ疲れているせいか、すぐに身体が重く感じるようになった。すると身体が金縛りにあったように動かなくなった。これはしめた・・・と内心喜んだ。この状態になると体外離脱ができるとセミナーで聞いていたからだ。「よし楽しんでやろう」と思った。閉じているまぶたには明るい光が見えてきた。そしたら、突然、身体から亡霊のようなものが抜けでる感覚があった。よくはわからないが、私の意識なのだろう。
あっという間に私は宙に浮いていた。フワッとそれがホテルの壁を越えて外に出て行くので、一瞬緊張した。だが、無事に外に出た。また壁を通り抜けて部屋に戻った。ひじを壁にぶつけて痛かった。あとで思ったことだが、主(ぬし)のいない私の身体が寝返りでもして、どこかにひじをぶつけたのだろうか?
わたしは初めての体外離脱をなるべく長く楽しむ決心をしていた。こんどは床を通り抜けて、知らない部屋にはいった。テーブルの上にはカラフルな雑誌がたくさん置いてある。鮮明な映像だ。雑誌は英文だったのでタイトルを見たが、すぐ忘れてしまった。ともかく見覚えの無い部屋だ。「ここは誰の部屋だろう・・・ホテルの中ではあるようだが・・・」と思った。
どうせ体外離脱したのだから・・・日本まで飛びたい・・・と思ったが、そうは行かなかった。だいたい自分でコントロールしているというより、意識なのか私の亡霊なのか、何だか知らないが、勝手にホテルの外に飛び出したり、中に入ったりするのだ。映像は鮮明で楽しかったが、だいぶ長い事、体外離脱をしている感じがしたので目を開いて身体に戻ることにした。
目を開けるとホテルの部屋の中だった。急いでベッドから飛び出て、テーブルに向かい大学ノートを拡げて、この経験を書き留めた。でも、まだ身体がだるいのでベッドに戻って横たわった。
その瞬間、身体が動かなくなり、また意識が体の外に出てしまったようだ。そこは見慣れない部屋だった。何か動物がいる。よく見たら子犬だった。それが懐に飛び込んでくる。顔をよく見たら長細く、灰色で耳が大きかった。おとなしく人懐こい顔をしている。・・・これは夢だろう・・・と、何となく思った。その瞬間、犬が猫に変わり、猫を見ていたら、きつねみたいな動物に変わった。私は気味が悪くなり、その動物を窓から外に放り投げた。そのときまた目覚めた。・・・この体験も記録しておかなくては・・・と思った途端、身体が思うように動かなくなり、夢の世界だか何だか知らないが、再びホテルの外に出てしまった。外にはプラカードを積んだ車が、渋滞していた。なにやら政治的な反対運動の行列のようだ。それを空から眺めていた私は、やがて壁を通り抜け部屋に入り、目覚めた。目覚めたとき、身体の疲れはすっかりとれており爽快な気分だった。これはいったい何なのだろう? こんな夢は今まで見たことが無い。現実なのだろうか? 後で読んだその日の朝刊には、タクシン首相の反対デモが、朝からあると書かれていた。
(つづく)