kitombo.com | 海賊の話 | 2005年1月3日 
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海賊の話
「アングロ・サクソン その9」

裏小路 悠閑
1月3日

 ヴァイキング時代の幕開け頃のサクソン・イングランドが、どれ程の人口を持っていたのか確かなことは判っておりません。
 同時代の解釈によるキリスト教の影響で、戸口調査や人口調査が行われていなかったからであります。

 古代エジプトやイスラエルでは、物事を「数えて知る」と言うことは、それに対する最高支配権を行使する権利を主張することになっておりました。
 そしてイスラエルでは、まことの王はエホバであり、地上の王はエホバの代理人に過ぎず、国民の服従だけで満足し、人口調査などしてはならなかったのです。

 紀元前十世紀、イスラエルの王ダヴィデが臣下に命じて、イスラエルの人口調査をさせたがために、エホバの機嫌を損ねてしまいました。話の内容は殆ど同じですが、旧約の「サムエルの書下」24章では、明示されていない何かの理由でエホバはイスラエルに怒っており、神自身がダヴィデをそそのかして人口調査をさせたことになっておりますが、「歴代の書上」21章では、悪魔がダヴィデをそそのかしたことになっております。
 「歴代の書」には;  "この人口調査は、神のお気に召さなかったので、神はイスラエルを打たれた。  ダヴィデは神に向かって次のように言った。
 「私は、この行いによって、大変な罪を犯しました。このしもべの罪をお許しください。私はひどい愚か者でした。」" とあります。

 今では「神は愛なり」と近所の教会にも大きな看板が上がるほどに、神の本質と言うか、概念は変わってしまいましたが、ダヴィデの頃のエホバは未だ部族神で戦の神であり、信徒の契約違反には厳罰をもって報いるのであります。
 神はダヴィデが深い悔悟の念を口にしても、許しません。

 エホバは預言者ガドを通じて、次の三つの内から一つを選べとダヴィデに迫ります。

     
  1. 三年間の飢饉  
  2. 剣を持って追いかける敵からの、三ヶ月間の逃亡  
  3. 三日間、国中に流行するペスト
 ダヴィデは困り抜いた末に、ガドに返事を託します。
 「どうせ逃れぬものならば、人の手には落ちたくない。主のみ手に落ちる方がましです。」
 と言うことで、エホバは夜明けからきまった時刻まで、イスラエルにペストを送り込まれたので、七万人のイスラエル人が死にました。エホバはイェルサレムにも一人の天使を遣わして、町を滅ぼそうとしておられたが、人々の悲惨な有様をみて哀れに思われ、禍をおくったことを些か後悔なされて、天使に手を引くように命じられました。

 中世初期の教会では、こうした旧約聖書の記述は、掛け値なしに受け取られていて、人口調査など罰当たりなことは、出来なかったのであります。
 イングランドは北海道二つ分よりも少し小さい位の大きさでありますが、この時期の人口は五十万位であったという人もいれば、百万人は居たという人もいて、確かなことは判っておりません。これだけの広さに対して、仮に百万人いたとしても一平方キロメートルあたりの人口密度は、僅か七人かそこらに過ぎぬ計算になります。

 国土の防衛には、その広さに見合った人口が必要です。
 この当時のイングランドは、全般的に人煙は疎らであったに違いなく、ヴァイキングの侵寇に対して、人口の面からだけみても、非常に弱体であった、と言わざるを得ません。
 エグバートが覇王となって諸王国連邦の様な社会が現れ、強固な統一国家に成長する切っ掛けになるかと見えたのですが、長年の王国間の抗争による人的資源の減少とそれによる飢饉、悪疫の流行などで、ローマ時代に比べると大幅に人口が減っていて、これが致命的な結果を招きました。

 サクソン・イングランドの軍事力は、自由民 ( fyrd ファイド)と呼ばれる農民によって支えられておりました。自由民はこの島に渡って来て以来、ずっと農民であり兵士であったわけですが、逆に言えば戦闘能力を持っていたが故に、彼らは自由であり得たのです。
 彼らは王の召集に応じて、猟槍程度のもので武装し食糧も自弁の上で参集して民軍を組織しますが、野良仕事の片手間の軍事行動でありますから、集合に手間取り、また当然のことながら長期間の拘束には耐えられませんでした。

 いわゆる七王国の時代には、王国間の抗争は互いに殆ど同じ条件で戦場に相まみえるわけですから、農繁期の戦争は避け、程々の勝負がつけば手打ちにするなど、かなり牧歌的な状況で済んだのでありましょう。
 どの国も常備軍を持つ程に豊かではありませんでしたから、戦場での判断が少しでも狂って予想外に多くの農民を失ったりすると、覇王と豪語していても忽ちその地位から転落する憂き目を見ます。
 ヴァイキング時代の初め、ノーサンブリアもマーシアもイースト・アングリアも、ウェセックスの王エグバートを最高君主として臣従する姿勢を見せてはおりますが、それぞれの国は依然として独立国として存在しており、そして互いに潜在的な敵国でありましたから、覇王エグバートにしたところで、立場の不安定なことは同じでありました。

 この様にして互いに敵視し合うイングランド諸王国には、協同して防衛に当たると言う思想がなく、沿岸防備は永らくなおざりにされており、人口は希薄である上に、軍事力の根幹をなすのは農民のパートタイマーでありました。若し気付いていれば背筋の寒くなる様な状況にあるところに、実際にヴァイキングが来襲して来たのです。

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