kitombo.com | 海賊の話 | 2004年1月12日 
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海賊の話
「衰唐へ」

裏小路 悠閑
1月12日

 ここまで、日本は唐の律令制を模倣して国家の体裁は調えましたが、その実体はと言えば庶民は依然として弥生時代そのままに縦穴式住居や掘建て柱の小屋に住み、輸入された貴族文化を支えるための存在でありました。一方唐の国家体制は、近世に手を掛けるほどに進化していましたから、僅かな回数の遣唐使の派遣で、その格差は埋めきれるものではなく、日本では公文書にさえも「大唐」と記述して、敬意と憧れを表す程でありました。

 必要なものを、何時でも、必要なだけ手に入れる事ができる。
 人類はこのことを目指して様々なことをして来たのでしょうが、この目的達成の為には、生産技術と交通運輸の発達、そして貨幣経済が成り立つに十分な量の通貨が供給され、流通していなければなりません。
 唐の玄宗(在位712〜756)の時代、政治の安定に加えて、豊年が続き、通貨供給量も程ほどにふえて経済活動は活発になり、海・陸の両ルートを通じて西域との交流が盛んとなり、文明の華が開きます。
 来る者は拒まぬ大度の国、唐の隆盛の有り様は目に浮かぶ様ですが、玄宗は晩年に楊貴妃に狂い、楊一族を高位顕官に取り立てた頃から様相は激変します。政治が乱脈を極めたために、三鎮の強大な軍事行政権を握る胡人の節度使・安祿山(アレクサンドロスの音訳?)の侮りを受けて、叛乱を起こされてしまうわけです。
 玄宗は、安録山の攻撃を受けて首都長安を捨てて蜀に逃れる途中、扈従の兵に強要されて楊貴妃とその一族を殺し、皇位も粛宗に譲らされました。
 失地回復を目指す唐の新朝廷は、アッバース朝二代目カリフのアル・マンスールに報酬を約束してウィグルから援兵の提供を受け、叛乱勃発のあと九年にしてようやく平定することができました。
 並の国家なら、安録山の起こした程の規模の叛乱があれば、忽ち王朝は滅亡するのですが、唐の版図は広大であったが故に、その衝撃を吸収することができ、この乱の後百五十年もの間命脈を保ち、経済は発展し文事はますます盛んとなります。

 ウィグルへの莫大な報酬を払うため、財源をどうするかと言う問題が起こりました。
 唐は律令国家、つまり武力国家であることを止め、財政国家に衣替えすることにしました。その心は、財政を健全にし、一旦緩急の場合は傭兵を雇って国防に当らせようと言うものです。手始めに耕地面積を基準にして税金をかけ、塩の専売制を取り入れました。
 人民は生存に不可欠で代用品のない塩を、原価の十倍、唐末には三十倍という途方もない価格で購入することを強制され、結果、塩税は全国庫収入の半分にも達します。
 初めは急場を凌ぐために施行されたのかも知れませんが、結局この後に成立する王朝はみな塩税を堅持し、二十世紀初頭に清朝が滅ぶまで続けられました。
 前回、慈覚大師・円仁の唐における遍路について触れましたが、彼は揚子江の北岸の広大な塩田と、運河を利用して官塩を運送する艀の群を見ております。

 と言うことで、官塩に対して私塩の密売が蔓延し出します。密売の塩であっても原価の何倍もして、決して安くはなかった様ですが、それでも官塩にくらべれば大きな差がありました。密売塩が売れれば、政府は予期した収入が得られなくなりますので、取り締まりを強化しなければなりません。警察力の強化には莫大なコストが懸かりますから、塩の専売価格を上げざるを得ず、塩価の上昇は密売の奨励に外ならぬことになります。
 こうしてイタチごっこが始まります。
 刑法である「律」にあって、闇商売などは、恥ずかしいことであるからやるべきでない、と言った程度のことで大した事ではないのです。何としても専売制を守りたい政府は、律令制のままでは闇商人を厳罰に処し、闇ルートを断つことができません。
 政府は取り締まりの為に、法外の法を定め、取り締まりを強化して密告を奨励しましたから、道義の国「唐」は警察国家に変貌しました。一方の闇商人たちは秘密結社を作って対抗します。
 「上に政策あれば、下に対策あり」シナ人の間では言いふるされた言葉ですが、これが彼らの血肉となって、様々な秘密結社が結成されて活動を始める端緒となります。
 この様にして税制改革が引き金になって律令制は崩壊して行きました。
 序でながら、十六世紀、種子島に漂着したポルトガル人に同行し、村役人と筆談し通訳の労をとった儒生は「王直」と言う者で、火縄銃の日本伝来に一役買っております。
 この王直は、後に倭冦を詐称して海賊の大頭目となって暴れ廻るのですが、彼はこの種の秘密結社の一員であったに違いない、と思っているのです。

 財政国家となった唐は、780年、現に耕作している者の土地所有を認め、土地の面積と生産力に応じた税を、春と秋の二回銭で納めさせることにしました。これを両税法と呼びます。農民の負担する税はこれでお終い、と言う甚だ画期的な税制でありました。
 が、しかし、政府は必要が生ずればその舌の根も乾かぬうちに、思い付く限りの新税を創設したため、庶民は苦しみました。
 小野篁の時代から今日に至るまで、日本人に絶大な人気のある白居易(楽天)が、両税法の下での庶民の苦しみを、「重賦」に詠んでおります。
 私などが両税法について一知半解の解説をするよりも、「重賦」を鑑賞していただいた方が余程良いと思います。ここでは御参考までに「重賦」からの抜粋を掲げます。
『前略・・・・・・
国家定両税  国家は両税を定む
本意在憂人  本意は人を憂うるに在り
厥初防其淫  その初めは其のすぐるを防ぎて
明勅内外臣  明らかに内外の臣に勅す
 定められた税の外に一物でも余分に取り立てる者があれば 国法を曲げた者としてし処罰すると しかし月日のたつうちに 貪欲な役人が昔のやり方に戻してしまったのだ われら人民から税を絞り取って寵を得ようとし 納税期でもない冬にも春にも取り立てに来る ・・・・中略・・・・冬の冷たい風が荒れ果てた村に吹き 夜更けには火種も尽きてしまった 霰や雪が真っ白に降りしきるのに おさなごは身にまとう着物もなく 年寄りは体をあたためる物もない 悲しい喘ぎと寒気が鼻に入ってつらい 昨日納め残りの税を運び 序でに官庫を覗いてみたが 絹織物は山の様につまれ 生糸や綿は雲の様に集められている 是等の物は税の使い残しの名目で 毎月天子に献上されるのだ 人民の体の温もりを奪い取り お前たち役人は目先の恩寵を得ようとする これ程税を集めて献上し天子の庫に入れてみたところで 使い切れぬままに月日が過ぎ塵となってしまうだだろうに。
 奪我身上煖 買爾眼前恩 進入瓊林庫 歳久化為塵』
 我が身上の暖を奪い 汝が眼前の恩を買う 進めて瓊林の庫に入るも 歳久しゅうして塵となる
 白楽天は、民衆のやり場のない怒りを代弁しております。

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