アングロ・サクソンのいわゆる暗黒時代について、何かを言おうとしたらビード上人の残した書物に頼らざるを得ません。
この人は当時最高の知識人で、聖書を編纂して現在の形で初めて一冊に纏め、神学から音楽に至るまで百般の学問に通じていて、その業績は多岐に亘ります。一般の人たちにとって「英国民の教会史」はとりわけ重要で、日本でも多くの読者を獲得しているのでしょうが、著名人とまでは言えぬのかも知れません。
アングロ・サクソンの項では随分とお世話になりましたので、この人について少しばかり紹介しておかねばならぬ義理があるように思います。
とうとう「ビード上人」で押し通してしまいました。本人は自分の名前を Baeda と書いておりますが、日本人が呼ぶ時には「ベーダ」であったり「ビード」であったりします。彼は晩年に自身のことを何程か書き残しております。
マーシア王ペンダの侵攻の後暫くは、ケルト系キリスト教の天下であったノーサンブリアに向けて、カンタベリーの教会は布教を再開し、国王オズウィが主催した宗教会議 ( 664年 ) の決定によって優位にたちました。これを機に多くの修道院が建てられ、当時のヨーロッパでは例を見ない程に、学問が盛んになりました。
彼は672年か3 年に、こうした勢い盛んな修道院の領地に生まれました。両親がどのような人たちであったのか不明ですが、七歳の時に親戚の世話によって当時新設されたばかりの聖ペテロ修道院に入り、修道僧となるべく教育を受けた後、のちに造船業が盛んとなるジャローの聖パウロ修道院に移り、その後もノーサンブリア王国の外へ出ることなく、この修道院で一生を過ごしました。
地元では教師として、修道者として、学者として多くの人々の敬愛を集めていて、没後早々にイングランドではVenerable Bede は通り名になっておりました。
1899 年になってようやく、法王庁は彼の教会への学問的な貢献を認め、列聖して "Venerable Bede" としました。この "venerable" の称号は聖人としては最下位の位で、日本のカトリック教会では「尊者」と呼ぶことになっている様です。
どの様な目的のための集団であれ、人は序列を持ち込まねば円滑に運営できぬようでして、カトリックでは聖人にも上下の差があり、この人たちの為にある天国でさえも、七階層のランクがあるのです。
彼は聖書の再編に並んで、歴史の著述にあっても大きな変革をもたらしました。
現在では当たり前のことですが、当時は異端呼ばわりまでされ乍ら、資料の出所を脚注にして、後の筆写に際してはこの脚注を落とさぬ様にと、厳重な注意を書き添えております。各種の資料を突き合わせて整合性を図り、鋭敏な洞察力により事件を単なる事件としてではなく、人間の息づかいを感じさせるものに造り上げ、英国史の父と呼ばれているのです。
内容は門外漢には見当もつかぬことですが、聖書の釈義にも大きな貢献をしていて、その著作の写本は大量にカロリング朝のフランク王国に渡り、後の世のプロテスタントを含むキリスト教の教義に、善くも悪くも大きな影響を残しました。
現在のキリスト教徒が言うところの旧約聖書は、紀元前三世紀頃にユダヤ教徒が十二氏族から各六人都合七十二人を出して編纂した、いわゆる七十人訳聖書が基になっております。キリスト教徒がこれを「旧約聖書」として採用した挙げ句に、勝手な解釈をする様になりましたから、ユダヤ教徒は憤激し廃棄してしまいました。
ビード上人は旧約聖書の天地創造の年代を特定しようと、その解釈に知恵を絞っております。
うまい具合に、新約「ペトロの後の手紙」第三章には、ダヴィデの言葉を引用したとして『神の一日は人界の千日である』とあり、これを手がかりとして、天地の創造はキリスト降誕の年から数えて3,951年前と決定しました。この際煩雑なので端数のいわれは省きますが、ビード上人によるこの算定方法は、多種多様の長い長い論争を巻き起し、現在に至ります。
近所のプロテスタントの教会では、天地創造は今から六千年前のことである、との解釈で説教が続けられております。
長年にわたって、その時代の最高の頭脳を持った聖書解釈学者たちがこの事に熱中し、今もなお続いているのは、聖書にある世界の終末、つまり「最後の審判」は何時か、と言うことが理由であろうかと思います。
多々ある言説の中で、十七世紀の判りやすい例を一つだけ挙げますと:
「神はこの世を六日間、つまり人界の六千年で造られ、七日目に休まれた。神の六日目、すなわち人界の六千年紀にアダムとイヴを作られたとあるのは、この時にイェスが降臨して悪の大王と戦い撃滅して、神を信ずる者たちや悔い改めた者たちを天国に昇らせることを意味しているのである。イェスの降誕は六千年紀の真ん中である筈で、従って天地創造はイェス生誕から遡って五千五百年前である。」
その他の説もイェスの降誕が基準となって、四・五千年くらいになっておりますが、問題は神の時間の六日が終わって、人界の七千年紀の何処かで最後の審判がなされることなのです。999年がそれだとされ、恐慌しましたが無事に済みました。
1033年に延期されましたがこれも無事でした。その度ごとに新たな解釈と計算のやり直しの結果、破局の日は順送りにされました。1999年にも大騒ぎした人たちが日本にも居たことはご存知の通りです。
手元の聖書を見る限り、創世記のこの部分は全て過去形で書かれていて、疑問の余地は無かろうと思われるのですが、そこはそれ、神学とやらの難しいところなのでありましょう。
ことあるごとに神の名を口にする、敬虔なキリスト教徒を大統領を戴くアメリカ合衆国では、創世記にあらわされている神の御業を疑うなどは、多くの人たちにとっては罰当たりなことで、かなりの数の州ではダーウィンの進化論を教えることは罪になったり、罪に問われぬ場合でも何らかの障害が設けられております。
どんなに大きく立派な仕事をした人にでも毀誉褒貶はつきもので、『ビード上人は当時の対メディアスポークスマンに他ならず、アングロ・サクソンの廉直さ、キリスト教としての役割を精一杯強調する一方で、当時ノーサンブリアにも多数居たであろうケルト系キリスト教徒を含め、ブリトンたちを十把一絡げにして、信仰心のない、卑怯で復讐心ばかり旺盛な者たちとしている。』あるいは『スポンサーである国王の顔色を窺うあまり、政治的な配慮が過ぎて不誠実で、嘘に紙一重のところまで過剰に抑制されている』と糾弾する学者達がいます。いかに優れた思想家でも時代の制約を免れえず、それは批判をする側の人たちについても同じです。
私は「ビード上人」が残してくれたもののお陰で、今回は遠いあの時代を垣間みることが出来たことを感謝しているのです。