「ヴァイキング」と「バイキング」は違うのです。
多種類の料理を卓上に並べ、会食者が好みによって自由取り分けて食べる、スカンディナヴィアのある種の食事の形式が、日本人によってバイキング料理と名付けられて普及しました。
バイキングは料理であり、ヴァイキングは「ヴァイキング」であります。
以下はヴァイキングの話であって、料理の話ではないのです。
ヴァイキングの活動は、大まかに言って、現在はスカンディナヴィア三国と呼んでいる地域に発する民族移動でありまして、活動範囲は広くその期間も二世紀を超えますから、その全体像を描き出すことなど、私にはとても無理です。
ということで、話をイングランドとその近傍の地に関することに絞り、折に触れて他の地域を見ることにしたいと思っております。
従って現在のデンマークとノルウェーからのヴァイキングが話題の中心となり、スェーデンを発して東へ向かい、ノブゴロドに拠点を設け、あるいはダウガ河を遡り、ドニエプル河を下ってキエフを建設し、コンスタンティノープルに迫った一連の活動については、殆ど触れる機会はないかと思います。
あの「小さなビッケ」の物語以来、ヴァイキングについては多くの人がロマンとともに、深い知識を持っておられるに違いなく、「何を今更」、と言うことになりかねませんが、仮にも「海賊の話」という看板を揚げている以上は、素通りと言うわけにも行かず、本当の所は困っているのです。
恐るおそる始めることに致します。
中世におけるヴァイキングのイメージと言えば、教会の主導する所によって、残虐無惨な邪教徒の海賊と言うのが通り相場でありましたが、十七世紀になって人々が教会の束縛から自らを解き放って自由な発想が出来るようになりますと、この常識に逆らって「ヴァイキング時代」を吟味する人たちが出てきました。
彼らの初期の仕事は学術的な分野に限られ、彼ら北方からの掠奪者たちが、倫理性・精神性に一貫性のある体系を備えた文化を持ち、民主制へ向かいうる性向と社会構造を内包していたことが明らかに見て取れる、と言うものでありました。
こうした著作や論文は、少数とは言え、当時の支配者階層や知識階層に読者を獲得しておりました。
十八世紀に入ると、人々の興味をそそる多彩なスカンディナヴィアの神話物語や伝説が語られ始めました。考古学者たちは打ち捨てにされて来た塚や遺跡の発掘を始め、北方語の探索に熱中する者たちは、田舎を廻ってヴァイキング時代に由来する単語や言い回しの発掘に余念無く、ルーン文字の研究者は捏造と真実の別なく、研究成果を世間に発表して名を挙げました。
勿論この当時にはヴァイキングと言う言葉は知られておらず、一般化するのは十九世になってからのことで、OEDに初めて載せられたのは1807年のことです。
産業革命が始まり、アメリカ合衆国が独立しナポレオン戦争が起こり、西欧の列強が利権を求めて世界を駆け巡る狂瀾怒濤の時代に突入し、英国は大帝国建設に向かってひた走るのです。
当時未だ内親王であったヴィクトリア女王付きの司祭ウィリアム・ストロングは、1825 年に或るスウェーデン人司教が、十三・四世紀のアイスランドのサガに登場する勇士を題材にして書いた「フリティヨフのサガ」という冒険譚を翻訳して、ヴィクトリアに献呈しました。
『フリティヨフは、ベリ王に仕える忠誠な従者でもあり、かけがえの無い友人でもあった者の子に生まれ、王の娘インゲボルクと相思の間柄になりました。
ベリ王とフリティヨフの父がともに亡くなると、二人の縁組みは不釣り合いだとして、王女の兄弟が二人の仲を裂き、王女は掠奪を事とする隣国の年老いた王に、平和の印として贈られてしまいました。フリティヨフの方は徴税を名目に航海に出されました。王子たちは皆、彼が海難に遭って死ぬことを期待していたのです。
買収された深淵に棲む魔女は呪文を唱えて大嵐をおこし、フリティヨフの船を粉々にしようとしました。フリティヨフは、当時のヴィクトリア朝の人々が自己投影し、褒めそやし憧れて止まぬヴァイキングの勇者の資質を遺憾なく発揮します。
彼は大胆にして勇敢、簡潔にして詩的、恐怖に打ち震える乗組員を鼓舞激励して、難関を突破したのでした。
陸に辿り着いた信念堅固な人フリティヨフは、今は寡婦となったインゲボルクを娶り、自分を陥れようとした王子たちを討ち果たしました。指導者に選ばれた彼は、新しくやって来たキリスト教を率先して受け入れたのでした。』
英国民は階層の別なく、熱狂してこの種の話を歓迎しました。
一夜明ければ、また新しい植民地を手にしているこの時期の英国民の気風に合致する話として、これ以上のものは無いでしょう。
フリティヨフたちヴァイキングに、立憲的な王のあらまほしき姿を見、民主社会の義務と責任のあり方、社会ダーウィニズムと社会の上昇志向を読みとったのです。この種の話によって、ヴィクトリア朝の英国民の価値観の一端を見ることができます。また、この時期以降の新しいヴァイキング観は、輸入されて日本人の間にも定着したように見えます。
二十世紀の初めまでに、この類いのサガは考えつく限りの意匠を凝らして子供向けの本として多数提供されました。長い豊かな金髪、飾り立てた角付きの兜をかぶり、光り輝く剣をさげ、ドラゴンの船首飾りを付けた船等々、ここにヴァイキング の定番が出来上がりました。
新しく発見されたヴァイキングの属性は、時代の空気を映して英語圏のみならず、北欧に広がったのは当然で、その神秘性に楽想を得たワーグナーは空前の超大作歌劇を作り上げ、その舞台効果のため、角付きのヘルメットを使いましたからたまりません、今やヴァイキングと言えば、ビッケにしても小さな可愛い角を生やした兜を着用しているのです。
時代とともに、ヴァイキングへの思い入れは少しずつ違ってきます。
アメリカが参戦する直前の二次大戦中、ドイツ軍の猛威に曝されていた1941年、イギリスの通信員がアイスランドのヴァイキング研究者に書いております。
「あなた方がヴァイキングを高く評価するのはかまいませんが、私も同様だと思われては困ります。ヴァイキングは勇敢で有能であったかも知れませんが、今あれらの勇敢で有能な者たちが世界の厄介者であるように、厄介者であったのです。」