kitombo.com | 海賊の話 | 2005年2月7日 
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海賊の話
「ヴァイキング その3」

裏小路 悠閑
2月7日

 ヴァイキング時代以前のスカンディナヴィアの社会が、どの様なものであったかについては、彼ら自身の手になる同時代の記録は勿論のこと、外の文明社会にあっても殆ど残っておりませんから、確かなことを言える人はおりません。
 キリスト教が持ち込んで来た文字によって、十二世紀から十四世紀に亘って多くのサガや伝承が記録されて世に出て、外の世界に広がりました。これらの書物と遺跡の発掘の結果を元にして、様々な人たちがそれぞれに特色のあるヴァイキングの社会を描き出してくれておりますので、私たちにとっては興味深い時代であります。

 ノルウェーとデンマークの人々は、沿岸の島やフィヨルドの岸辺にへばりついて小集落をつくり、すべての者が漁業と農業の双方に従事せざるを得ぬ、水陸両棲の半自給の生活を余儀なくされておりました。
 自作農であることを最も誇りとする社会でありますが、ここでの農は牧畜が主体であり、耕作をしていたとしても、どれだけのことが出来たでしょうか。
 ノルウェーでは現代の技術をもってしても、耕作可能な土地は国土の3%ほどしか見込めません。時代が下って、例えば、十六世紀のデンマークにあってのライ麦の平均的収量は、播種量の2.5 倍などと言う、目を疑いたくなる様な数字が出ているのです。
 制約だらけの居住地で、日常の需品のすべてを調達できるものではなく、必要な物資は物々交換と言う面倒な手続きを経て、外界に求めなければなりません。
 それは鉄であったり穀類であったり、あるいは生命維持に直結した品物の場合もあったでしょう。
 交易者双方の望むものが合致すれば良いのですが、相手方が交易を拒否した場合、切羽詰まっていれば強奪と言う手段に訴えるしか手はありません。
 サガは常に史実を伝えているわけではありませんが、こうした武力を背景にして強引に取引をする情景が沢山描かれておりますから、推論の根拠にはなるのではないでしょうか。こと日常の需品の慢性的な欠乏とその調達方法は、つい先頃までの中東やアフリカの砂漠地帯の遊牧民が取らざるを得なかった方法と同じです。

 居住地の集団は豊かであればあるほど、常に誰かに狙われている可能性があり、集落は確かな防衛力を持つことによってのみ存続できました。
 と言うことで、戦闘能力を備えた男たちを集め、忠誠心を維持することが、こうした社会の第一の目的になります。
 土地を与えると言う手法は、この貧寒狭小な地では問題外で、首領と仰がれる者は、いざと言う時のために多くの食客を抱えて、これに酒食を提供し珍奇で高価な贈り物をして彼らの心を繋ぎ止める以外に方法はなかったのです。
 彼らの社会では、物を贈られた場合、何かの形でお返ししなければ何時までも負債として残るのです。物騒な環境で小社会を維持するために自然に出来上がった規範でありましょう。こうしてGift-Based economy と言われるものに支えられた社会が成立します。
 力のあるものは、価値の高い物資をあらゆる方法でかき集めて更に力を伸ばし、近隣の小集落を吸収して小王国をつくりましたから、ヴァイキング時代の初めの頃のノルウェーには、三十くらいの小邦があったと言います。
 遠く遥かな昔から彼らはこの様にして、スカンディナヴィアの域内で物資の調達を続けてきましたが、増え続ける人口を養いながら、この Gift-Based economy を維持することは次第に困難になってきました。

 ヴァイキングの奔出を、フランク王国の北進が原因であるとする説を立てる人もおりますが、スカンディナヴィア全域から一気に噴出する広範な活動を、これだけで説明できるでしょうか。これはやはり人口増加と Gift-Based economy に原因を求めるべきだと考えます。
 Gift-Based economy も、資源が潤沢にある所で行われれば、地方経済の活性化に繋がります。日本には冠婚葬祭が盛大に行われる地方がありました。ひょっとしたら今も変わらぬかも知れませんが、とにかく娘を三人も嫁に出せば家が傾くと言われるほどに費用をかけます。その婚礼の波及効果は繊維関係であれば原料生産者から、機屋に縫子まで、什器なら木地師から塗師、そして漁師・百姓・仕出し屋にまで及びます。葬式にしても饅頭を二万個も配れば、まあまあ良い葬式だったとの評価を受けることが出来、世間に顔向けが出来るのです。こうして良い物がつくられ、技能が向上して保たれて来た面が大いにあります。
 これにひきかえ、貧寒なフィヨルドでの Gift-Based economy は、生命維持のために少ない資源を互いに奪ったり奪われたり、ギリギリの所で行われていたのです。

 今の時代、ヴァイキングの海賊的本性を薄めてしまって、何か平和的な交易者であった様に想像させるのが流行っておりますが、その初期には勿論のこと、植民を主目的として渡って来始めた九世紀の終わりまで、彼らは海賊あるいは強盗以外の何者でもありません。仮に交易が行われたとしても、ヴァイキング時代の全期間を通して、それは強奪掠奪と殆ど同義語でありまして、交易者双方に相応の武力的背景があって、はじめて公正に行われたのです。
 少なくともイギリスでは、ヴァイキングが関わったとされている遠距離交易によってもたらされた品物の出土は、非常に少ないのです。
 ごく少量の絹織物の断片くらいはありますが、この時期の交易品として出土した物の内、ヴァイキングがらみの品物は、 全交易量の3% 程度しか無いと言われています。

 

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